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横山秀夫「クライマーズ・ハイ」感想~飲み込みたくないものは飲み込まない~

・ドラマ「エルピス」の話をしてもいいだろうか


「リスクが高い」とどこからも断れたドラマ「エルピスー希望、あるいは災いー」が面白い。

HPよりお借りしました。


恋愛スキャンダルで落ち目となった長澤まさみ演じるアナウンサーが新人ディレクターたちと最高裁で死刑判決が確定している事件の冤罪疑惑の真相を追う物語。

アナウンサー(長澤まさみ)として、わたしが伝えてきた中にどれだけの真実があったのか?

東京オリンピック招致、福島第一原発の汚染水状況について「アンダーコントロール」発言した首相...。

冤罪事件が起爆剤となり覚醒するアナウンサー。

でも、

世の中では大きな音を立てずに潰れる者が潰される。

もとは報道担当だったが、製作者の墓場とやゆされる深夜の情報番組のプロデューサーに飛ばされた男も、声をあげることなく自ら潰れた者のひとりなのだろうか。

だからプロデューサーは語る。

「おもちゃみてえな正義感で手出していいことじゃねえんだよ」
「闇にあるもんってのはな、それ相応の理由があってそこにあるんだよ」
「この世間にも色んな怖い生き物が、目に見えない縄張りを張ってたりするんだよ。どこに何がいるかもわかってないようなガキが、ぶんぶん棒振り回したら大変な目に遭うってこと!わかる?冤罪を暴くってことは国家権力を敵に回すってこと。わかる?」

いろんなものを飲み込んできたんだね、プロデューサー。

でも、アナウンサーは決めた。

飲み込みたくないものは飲み込まない、じゃないと私は死ぬ。

では、アナウンサーの正義とは?

社会のため、視聴者のため、それとも..自己満足のため?
正しさという闇に飲み込まれないで走りぬくことができるのか。

希望だもんね、走り抜けてほしい!と、願いつつ楽しみに視聴を続けます。


さあさあ、真実をうやむやにするマスコミをマスゴミと揶揄されるのはテレビ局だけではありませんよね。

新聞は?
新聞は真実を伝えているのか?

伝えていても、そこに忖度はないのか?

本書は、日航機墜落事故を題材にし、飲み込めなかったものを飲み込もうとする男たちの物語でした。

・<簡単あらすじ>

昭和60年8月12日、御巣鷹山で未曾有の航空機事故が発生した。
当時、世界最大級の航空機事故といわれた日航機墜落事故。
飛行機が墜落したのは、地元紙・北関東新聞の本社がある群馬。

ある事件がきっかけて遊軍記者だった悠木が全権デスクに指名される。

Q、長らく燻っていた男の起死回生物語なのか?
A、違います。

Q、チーム一丸となり、世紀のスクープを地方紙が手にするまでの歓喜の物語なのか?
A、違います。

Q、スクープというネタに、興奮状態が極限にまで達して恐怖心とか麻痺し「クラマーズ・ハイ」になった男たちのお祭り騒ぎの物語か?
A、違います。

だったらどんな物語なのよー!

時に、政治家、権力者や会社上層部の隠蔽忖度...野心や功名心...報道に携わる人達のドロドロ内部抗争を描きながら正義とは何かを問うた作品。

・中間管理職はしんどいよ

全権デスクを任された悠木40歳。
俗にいう中間管理職。
上下の板挟みになりそのつど答えを求められる立場。

記者として世界最大のヤマを踏むチャンスを逃したくない。
ギラギラした目で熱をぶつけてくる「部下」たち。

「大久保事件、連合赤軍事件」を経験し、過去の栄光にいつまでもしがみつき、世界最大の航空事故が一瞬にして自分たちの栄光メダルの色を褪せさせることに怯える「上司」たち。

部下の頑張りに報いたい。
結局は、上司の横やりでダメになってしまう。

はぁー。
この場面を読み、中間管理職の悠木のしんどさがわかる年に私もなったんだな。
部下よりも上司よりも、主人公だからじゃなく悠木目線で読んでたわ。
だからダメな悠木に、何やってるのよー!ともなる。

報道人としての正義だけじゃない。
綺麗事を言っていては組織の中を生きられない。

社会のために、読者のためにあるべき新聞が、自己の野心や社内での競争心、自尊心に熱くなる男たちの姿が生々しく、まるで現場でみてるような臨場感で、読み手のわたしも自然と力んでいたが…。ドロドロとした社内抗争があっても、報道人としての矜持は見失わない悠木たちに救われる。

地方紙の使命とは何か?
人の命に、大きな命と小さな命はあるのか?

「希望」をちゃんと読み手に取っておいてくれてる。
ホント、そこに救われた。

・飲み込みたくないものは飲み込まない

地方紙が奮闘する日航機墜落事故の7日間を軸に、「下りるために登るんさ」がもうひとつのテーマ。

「下りるために登るんさ」と言ったのは、同僚で山仲間の安西。
墜落事故が起きた日。
安西と衝立岩へ登る約束をしていた悠木だったが約束は果たせず、安西は道端で倒れ眠りから覚めることはなく亡くなる。

安西はなぜ、「下りるために登るんさ」と言ったのか?

安西にも飲み込めないものがあった。
飲み込めないものと決別するために、登る。
それは悠木も同じ。
もう一度、原点にもどるために。

人は慎重に道を模索しても間違う。
完璧な人などいないから。
間違ったら、飲み込むのではなく飲み込めなかったものではない違うものを選べばいい。

それもまた間違っていたら、違うものへと。

一歩踏み出す。
希望。

希望を信じてもいいと教えてくれた一冊をわたしは忘れない。

#読書の秋2022 #クライマーズ・ハイ

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