下丸子のガス橋で泣き腫らした日々が、いつか誰かを救うかもしれない
下丸子のガス橋のグラウンドで何度も泣いた
平日仕事の時や休日に都内で電車に乗っていると、路線図で見かける駅名や、目的地までの通過駅で、ふと過去に経験した感情が湧き上がることがある。
嬉しかったことや楽しかったことはもちろん、思い出したくない嫌な出来事も含めてフラッシュバックする。
僕にとって、少し暗い感情にさせられる地名の一つが、下丸子だ。
小学生の頃、サッカーチームの都大会出場をかけた地区予選が、いつも下丸子にあるガス橋の土のグラウンドで行われていた。
僕の人生における「悔しい」という感情の大半は、ひょっとするとガス橋に詰まっていると言っても過言ではないかもしれない。
徹底的に負けまくった場所だった。
ベンチメンバーにも入れず、土手から同級生が試合をしている様子を眺めたこと。
不甲斐ないプレーをしてしまって、前半のうちに交代させられたこと。
自分のミスから、得点を奪われてしまってチームメイトに叱責されたこと。
その度に、僕は大泣きした。
自分が所属していたチームは長年都大会出場を目指しながらもガス橋でずっと涙を呑んできたけれど、僕の世代になって初めてガス橋の壁を乗り越えて都大会出場を決めた。
しかしその試合は、僕はベンチに座ったままだった。
ちっとも嬉しくなかったけれど、トロフィーを持った写真を撮影されて、とても惨めな気持ちだった。
その時は、後で隠れて泣いた。
32歳になってまで、下丸子と聞くだけで12歳の頃の感情が昨日のことのように思い出せるのだから、よっぽど辛かったのだろう(ちなみに川崎の新丸子を見ても、下丸子を思い出してしまう)。
12歳以来、下丸子には一度も足を運んでいないので、良い思い出に塗り替えることができる可能性も低そうだ。
しかし、負けた経験というのは大事だと思う。それを思い出せる場所があることも。
世を渡っていくために、勝敗すら付けずにやり過ごすことも増えたし、それが正しいと言われる時代になってきた気がするけれど、やり切って勝つことも負けることも、生きていく上では必要なんじゃないかと思う。
勝った経験が自分に勇気や自信を持たせてくれるし、負けた経験があるからこそ人に優しくすることができる。
自分が下丸子のガス橋で泣き腫らした日々があったからこそ、今後の人生で誰かを救うこともできるかもしれない。
弱虫 / HY
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