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渋谷の明治通り沿いで迎えた絶望的な朝

下北沢のチェーン店で「夜中に蕎麦をすするのが似合う」と言われてから7年の月日が経っていた。
秋から冬へと移る季節の変わり目のとある土曜日。僕は当時勤めていた制作会社の、渋谷にあるオフィスで眠い目を擦りながらパソコンに向かっていた。

担当していたイベント案件でトラブルが複数起きた。
朝7時に始業して、仕事が終わるのは翌朝5時。仕事を終えた2時間後には仕事を始めないといけないから、タクシーで退社して家でシャワーを浴びてから、タクシーで出社。タクシーにいる時間に、辛うじて睡眠時間を確保する。夜中に蕎麦をすする時間も気力もない、そんな数週間を過ごした。
その生活は、明日、日曜日から始まる4日間のイベントでようやく終わりを迎える。イベントの仕事の良いところは、どんなにトラブルがあっても終わりが来ることだと思う。悪いところは、どう足掻いても日付通りに本番当日が来てしまうので、トラブルが起こると本番に間に合わせるために休みも睡眠も奪われてしまうということだ。

土曜日の静かなオフィスでパソコンをカタカタしている自分の隣には、後輩で新卒一年目の相川さんがいた。2人して死人のような顔をしながら、資料の修正や時間を問わずにクライアントから頻繁にかかってくる電話に一つひとつ対応していく。
しかし、やってもやっても、仕事の終わりが見えてこない。

「とりあえず、一旦休憩にしよう」
クライアント対応が落ち着いた時間に、相川さんに缶ビールを何本か買ってきてもらって、DAZNでJリーグを観ることにした。
昼間のオフィスで絶望的に追い込まれた状況で、ビールを飲みながら優勝が掛かっている大好きなサッカーチームの試合を観ていても、なかなか気分は晴れなかった。
ビールを飲みながら、ふと隣で作業を続けている相川さんの家が、オフィスのある渋谷から電車で2時間は掛かる場所にあることを思い出した。

「そういえば、相川さんは家に帰れてる?」
「いや、1週間帰ってないです(笑)」
「、、、本当にごめん」
「大丈夫です、民泊で色んなところに泊まって結構楽しんでます」

自分がてんてこ舞いで、もはや面倒を見る時間もなくて、新卒には重すぎる仕事を無理やり任せてしまっている自覚はあった。フォローしなきゃという気持ちもあったけれど、ここ数日の間に顔を合わせた時には飄々とした様子だった相川さんを見て、任せられるだけ任せようと甘えてしまっていた。
いつ飛んでもおかしくない状況で頑張ってくれていることに申し訳なさが押し寄せてきて、自分の至らなさを謝るしかなかった。
次第に胸が苦しくなってきて、さらに流し込んでいたアルコールに気持ち悪さを感じて、吐き気を催してきた。自分の体調は限界を迎えていて、しばらくしてから会社のトイレで何度か吐いた。


文字通りボロボロだったけれど、翌日本番のイベントのために、死んでも間に合わせなければならない作業があった。色んな関係者が制作した資料をとりまとめて、綺麗に製本して、イベント参加者のVIPに配布しないといけない。
他の細かい準備や作業は十分ではなかったとしても、それだけは必ず対応しなければならなかった。イベントが成立しなくなってしまうのだ。

すべての資料が手元に揃い、合計数百ページになった。全ての資料の校正を終えた頃には、あっという間に夜になっていた。
今から会社で全ての資料を印刷したら、明治通り沿いにある24時間営業のキンコーズに持ち込んで、製本してもらう段取りだ。予算が無いから、印刷は自分たちの手でしなければならなかった。
製本には、混み具合によるけど数時間かかると言われていた。最終的なデッドラインは朝イチで、朝早くから製本を始めればイベント開始時刻である夕方には必ず間に合うだろうとも。

相川さんと話し合って、「朝イチは少し怖いから、今から印刷をかけて夜中のうちに持っていってしまおう。そうすれば、安心してイベントを迎えられるだろう」ということになった。
相川さんから「印刷は私がやっておくので、太さん寝ててもらっていいですよ」という申し出があったので、何度か吐いていた僕はそれに甘えて仮眠をとらせてもらうことにした。
最初は床で寝たけれど背中が痛くなって、最終的に椅子を並べてその上に寝たら、一瞬で眠りについた。


ハッと目が覚めた。
ガコガコ動いていたはずのプリンターが止まっている。相川さんを見ると、机に突っ伏して眠っていた。

時刻は朝4時になっていて、全て終わったのかと思ってプリンターに近づくと、エラーマークが付いていた。
印刷は中途半端な状態で終わっていることがわかった。

「相川さん、起きて。プリンター止まっちゃってる。何部印刷できた?」
少し大きな声を出したけど、反応がない。
相川さんが座っている椅子を揺らしてみたけれど、全く起きる気配がなかった。
相川さんも、限界を迎えていた。

目視できたプリントをかき集めると、必要部数の1/5程度しか印刷できていないことがわかった。一気に焦りが押し寄せてきた。

これはひょっとしたら、間に合わないのでは無いか?
印刷を再開すると同時に、現時点で製本できたものはキンコーズに持っていこうと思って、資料を手持ちで僕はオフィスの外に出た。

日曜日朝4時の渋谷は、すごく静かだった。
明治通り沿いに出ても、歩いている人は1人もいない。車の数も少ない。
小走りでキンコーズに入って、製本をお願いした。持ち込んだものは朝には出来上がる、いまのところ混んで無いから朝イチで持ってきてもらえれば昼には仕上げられそう、という話をしてもらって、少し落ち着いた。

帰りにセブンイレブンに寄って、レッドブルと眠眠打破を買った。
レジを済ませながら社用携帯でメールフォルダを開くと、おびただしい数のメールが溜まっていた。
関係者同士が喧嘩しているメールや、自分へのお叱りを超えたとんでもない言葉遣いの罵詈雑言メールがどんどん目に入ってくる。この数週間で免疫ができたので何も思わなかったけれど、読み流せないメールが一つ入っていた。

自分の総残業時間が200時間を超えていて、このままだと労基的にやばい、本人に調整させろ、という内容を人事が書き、上司がそれに従えと重ねた転送メールだった。
身体全体の力が脱力するとともに、頭に血が昇った。

「クソヤローーーーーーーーー」

通りに誰がいるかも確認せずに、雄叫びをあげた。
僕はレッドブルと眠眠打破を飲み干して、オフィスまで走った。

関係者全員が責任を押し付けあって、1番最下層にいる制作会社に全てが押し付けられている。
その制作会社は、社員の若手2人に責任を押し付けて、守ろうともしない。
走りながら、定時で家に帰っている上司の後ろ姿を思い出して、怒りがさらに沸騰する。

「オマエも手伝えクズ野郎!!!!」

叫びきってオフィスに入ると、相川さんはまだ寝ていた。

「起きろ!」

大きな声を出すと、「え、やばい。すみません!」と目を覚ました瞬間慌て始めた相川さんに印刷の指示を出して、その作業は思っていたより時間が掛かったけれども、なんとか終えた。

2人で大量の印刷物を台車に乗せてオフィスを出る。
その瞬間、太陽が昇り切っていることがわかった。
明治通り沿いには、通行人がいて、街は普通に動き始めていた。あまりにも時間が経っていた。
今の時間は、キンコーズの人たちが話していた「朝イチ」に含まれるのだろうか。
ひょっとすると、ギリギリ間に合わないかもしれない。僕たちはやらかしてしまったかとしれない。

こんなに絶望的な気持ちで朝を迎えたのは、はじめてかもしれないなあ、と動かない頭で考えながら、僕は後輩と一緒に台車を押して走った。


ハッピーエンドへの期待は / マカロニえんぴつ

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒時代の地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗、制作会社での激務などを経験。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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