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キャリアを断捨離する

昨日、NYの大学の先生や前職の先輩方とお話して元気もらった話を書いたが、書ききれなかった話を今日は書く。

Nakamura先生とお話していて、自分の10年後の夢はなんなのかを振り返るタイミングがあった。自分が10年後どんなことやってるのか、うーむ全く想像ができない。そもそも10年前の自分からすると、今の自分は全く想像できない姿になっているのだが。

ちょうどその後の席で、関係者共通のある知人の話になった。その知人は、いわゆる業界では知らぬ人はいないようなスーパースターな方だ。世間でも注目を浴びる業界で、メディアにも切れ目なく登場し、講演や相談は引く手あまた、一般人が話しかけるも畏れ多いようなところにいらっしゃる。

だが、以前からずっと知っている身からすると、彼の一見輝かしいキャリアの裏には、大きな挫折の経験が隠れていることを知っている。かつて自分が進もうとしていたキャリアの道には、すでに巨人がうじゃうじゃいる。この道ではどうやっても勝てない。苦渋の決断の末、彼は自分の進もうと思った道をあきらめたのだ。

あきらめるというとネガティブに聞こえるが、実はそうとも言えない。今ある何かを捨てることで、新しい何かを得ることができるからだ。実際に彼らは、道半ばに諦めたがゆえに、自分が進むべき新しい道を試行錯誤して切り開いたのだ。

変わらぬ目標を持って、そこに向かってあきらめずに進み続けるというのが、昔から我々が聞くような人生の道の歩み方だ。そこに何の疑問もなかれば問題ない、そのまま進めばいいと思う。一方で、はじめは目指すゴールははっきりしていない、しかしいろいろと挫折を重ねつづけて、あきらめ続けた先に自分の進む方向が見える。そうじゃない人生の道の進み方もあることに気付いたのは最近だ。

かくいう自分も振り返ってみれば、諦めてつづけた人生だった。学生時代はデザインに興味を持って勉強するも あまりに才能がなくてあきらめ、その後研究者になりたいと思い大学院へ進もうと思ったが、いろいろと複雑な事情が重なりあきらめ、社会人になってからは 自分でも驚くほど出会う仕事が合わず、その都度あきらめては方向転換を繰り返してきた。

こんなあきらめてばかりの自分が情けないと思うこともあったが、その後挫折しながら自分の道を見つけている人が自分だけではないことを知って、自分の人生の見方は少し変わったのは最近の話だ。

「好きなこと、やりたいことをやりなさい」は、ひとつすばらしい人生訓だと思う。一方で、自分がもし人生について何か言えるとすると「やりたくないことは、やらなくていい」あるいは「イヤじゃなければ、続けてみてもいい」だろうか。やりたいことが明確じゃない人も、挫折してやりたくないことがわかれば、道が見えることもある。

ものを捨てれば、人生がリセットされ、新たな人生がスタートする。アメリカでもブレイクした、某KONMARI先生がおっしゃっていたが、キャリアや人生もきちっと捨てるものは捨てると新しい人生がスタートするんじゃないかな。

私からのアドバイス? それはキャリアを通じて思い切ってリスクを負う覚悟を決めたうえで、結果が出るのをどのくらい待つか、具体的な年数を決めておく、ということだ。そして、その期間が過ぎたらきっぱりあきらめる。ある年齢に達したとき、いくつものリスクを冒して自分の夢を目指してきたにもかかわらず、まだそれを達成できていなかったら、潔く身を引くことだ。目標のことは忘れて、ゴルフ場に出かけよう。そして二度と後ろをふり返らないことだ。
『ハーバードからの贈り物』より


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