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豚モダンに関する一考察

今やインバウンドで来日する外国人もが食する国際食となった、お好み焼き。中でも、豚バラ肉を生地に加え、ソバでトッピングした豚モダンはその王道と云えるでしょう。大阪生まれの大阪育ちの筆者も幼少の頃より豚モダンに馴染み、帰省の際には梅田のゆかり本店に出向いてこれを食する事は少なくありません。
お好み焼きを供するにあたって箸と皿が添えられるようになったのが一体いつ頃の事なのか、もう記憶にすらありませんが、私共、生粋の大阪人にとってのお好み焼きはコテ一本で完食するものであり、かく云う筆者本人はもちろん、ふたりの娘たちにもその奥義をしっかりと伝えた事は云うまでもありません。

写真の豚モダンを如何にしてコテ一本で完食するか。その基本は切り出すサイズと口に運ぶ際の温度の問題で、本体からふた口サイズに切り出したものを二分した後、ひとつずつコテの上で適度に冷ました上で口に運ぶのが私のやり方です。最初にふた口サイズに切り出す理由は本体からひと口サイズを切り出すのが意外と難しいからですが、サイズの問題はともかくとして、奥が深いのは温度の問題。表面温度のみに着目していると、口の中でかみしめた刹那、中心部分から雪崩出た熱々の生地の反撃を受け、これを冷まさんとして「はふはふ」する事になります。が、お好み焼きの名店で「はふはふ」するは、横浜中華街でレンゲになみなみとすくいあげた担々麺のスープを一気に飲み干し噎せ返るに比肩する失態と心得なければいけません。
かと云って、十分に冷ましてから口に運ぶなど論外で、適度な熱さのものを手早くリズミカルに、真冬であっても食べながら少し汗ばむ程度のスピードで食べる事ができれば上級者と云えるのではないでしょうか。

しかしながら、そんな上級者であっても超える事が難しい壁が存在するのが豚モダン。筆者も未だ完全な攻略方法を見出していないその壁とは、生地と豚バラ肉とソバが三層構造を成す中心部、云わば豚モダンの核心部とも云える部分を、このミルフィーユを崩さずに食すると云う難題です。これは、食する姿の外見的な問題よりも、最上層のソバにのみ調味料が掛かっているが故に崩れた下層部には味がないと云う、豚モダンのみならず、お好み焼き系すべての料理に共通する問題なのであります。ここで念の為、申し添えておくと、分離してしまった下層部に改めてソースやマヨネーズで調味するなどは、串カツの二度漬け禁止に匹敵する禁じ手である事は云うまでもありません。

では何故、豚モダンの核心部を食べるのが難しいのか。識者の間では、以下のふたつの問題が指摘されています。

・コテが一太刀で豚バラ肉を切り裂けるほど鋭利ではない事
・カリカリに焼いた豚バラ肉にソバをつなぎ留めておく力がない事

それが故に豚モダン核心部のUXが、コテを入れ、上から、ソバ・豚バラ肉・生地の順に切り、コテを生地の下に差し入れ手前に引くと同時に十分に切り裂かれていなかった豚バラ肉が本体側に引かれた結果、その上のソバ層と豚バラ肉が本体側に崩壊してしまい、コテの上には生地だけが残る、のようなものになってしまう事も少なくありません。崩壊する界面がどこになるかや崩壊が切り出した側・本体側のどちらで起きるかは、豚モダン全体の焼き方、豚バラ肉の肉質、焼いたソバに残る水分など多様な因子の影響を受けるので一概には云えませんが、いずれにせよ、生地・豚バラ肉・ソバのミルフィーユを維持した状態で食する事が、想像する以上に困難である事に変わりはありません。

ふたつの問題点のうちの後者は豚モダンの構造的な問題なのですが、焼きそばを上下の薄いクレープ様の生地で挟んだ所謂「広島焼」こそが、この問題の解決に挑んだ豚モダンの進化系と云えなくもないでしょう。が、お好み焼きの本道は大阪の「まぜ焼き」であり、これをコテ一本で完食してこそ本物と筆者は思うのであります。

一方前者は、豚モダンを、それを切り分ける刃物に載せたまま口に入れると云う、お好み焼き系料理に共通する矛盾に根差すもので、これは恐らく未来永劫、解決はできないものではないかと思います。
またこれも推察でしかありませんが、食材そのものをコテで切れる程度に柔らかくすると云う逆転の発想で進化を遂げたのが、関東一円で食されている「もんじゃ焼き」ではないのか、と考える事もできるやもしれません。

超絶に美味であり庶民的な料理でありながら、その作法の奥深さ故に西へ東へと進化を遂げた豚モダン。ぜひ、保守本道の「まぜ焼き」をコテ一本で味わって頂きたいものです。

以上、もちろんジョークですので、お気軽にお楽しみください。




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