少子化対策に思う
異次元の少子化対策と聞いて、ついに3Dの子供はあきらめようって決断かと思ったが然にあらず、今までとは次元の違う少子化対策だとか。とは云っても、少子化自体を説明するレトリックは旧来と変わっておらず、よってもって対策を裏付ける仮説は、経済的な支援があれば夫婦は子供をもうけるだろうと云うものだ。ほんとうにそうだろうか?
DINKSと云う言葉をご存じだろうか?
Double Income No Kids. の頭文字を取ってDINKSだが、要は子供は作らず共働きして豊かに暮らす、と云うライフスタイルを指す言葉だ。私が初めてこの言葉に接したのは1980年代半ばの事、プラザ合意に端を発する円高不況からバブルに向かって日本経済が立ち直りつつあった時期だったと思う。
立ち直りつつと云っても、当時の日本は今よりもずっと豊かだった。多少ステレオタイプに過ぎる事はご容赦頂くが、あの頃の一般的な女性のサクセスストーリーと云えば、短期大学を卒業して上場企業に一般職として就職し、職場の先輩または同期の総合職の男性社員と恋に落ち、25歳までに結婚・退社、参考までにこれを「寿退社」と云う、して専業主婦になると云うものだった。男性は概ね1馬力でふたりの子供を大学に進学させるだけの経済力を持ち得たし、なにより、高度成長期と比べれば一桁落ちではあったものの、春闘により給料は毎年上がっていった。
つまり、こんな時代にDINKSと云う生き方がもてはやされ、少なからぬカップルがこの道を選んだ事実は、経済支援を軸とする少子化対策が実は的外れである事を示唆するものではないかと、私は思うのである。
DINKSとは、今よりずっと豊かな時代に、より豊かに生きる為に子供は持たないと云う選択だ。そこには、子供を持てば豊かにはなれないと云う仮説あるいは事実があった訳で、もちろん、豊かさの中には経済的なものも含まれていた事は確かであろう。しかし、DINKSを選んだカップルが欲したものはお金だったのだろうか?
そうではなく、時間だったのではないかと、私は思っている。
1980年代と云えば、「家」と云う制度・概念は既になく、したがって、家系を繋ぐ事を目的とした結婚も、一部の例外的な一族を除いては無くなっていたと云えるだろう。結婚するカップルも大半は恋愛結婚であり、恋愛の行きつく先としての結婚、そして跡取りを生まなくてはならないプレッシャーもないとなれば、多くのカップルが、なにより「二人の時間」を大切にしたいと考えるようになったとしても不自然ではないだろう。また、当時の世相として、婚前に同棲したりする事はまだまだ反社会的だと捉えられていたし、事実婚や婚外子などと云う言葉もなかった事から、恋愛関係にある男女が共に円満に暮らそうとすると、結婚するよりなかったと云う事情も付け加えておかなければならないだろう。
DINKSの視座とは、「二人の時間」あるいは「自分の時間」を奪う存在として子供を見てしまうものではないのだろうか。そして、この視座からは経済支援が少子化対策と映らないであろう事は確かであろう。では何故、子供を持てば「二人の時間」あるいは「自分の時間」を持てなくなると考えてしまうのか?
次回は、わたしたち日本の労働者と時間について考えてみたい。
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