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Old Soldier の複業探訪(10)

若い頃からのショートスリーパーとは云え、午前3時とは穏やかではない。しかも、頭の奥からは「Yaw、Pitch、Roll」と繰り返しつぶやく声が聞こえるではないか。
無事終えた筈のスポットコンサルだったが、実はひとつだけ気に掛かる事があった。それは、ロボットの構造である。質問書を読んで私が想像していたものと、彼が構想していたロボットの構造には若干の違いがあり、この差異によって、解くべき方程式が私の想定とは違ってくる訳だ。尤もこの差異は、特解によって方程式を解く事を妨げるものではなく、昨日の解説が間違っている訳ではないのだが、方程式が間違っているとすれば、それを解いたところで所望の結果は得られない。

もちろん私は、彼のロボットの構想を見た瞬間にこれに気付き、正しい方程式が立てられない可能性を指摘したのだが、ここを深堀りしていては肝心の同次変換と解法の説明をする時間が無くなってしまう為、この議論は後回しにしたのであった。解法の説明が終わり、彼が概ね理解できたであろう事を見て取った私は、この議論を再開したのだが、方程式を立てる側の考察はむしろ彼の方が淀みなく、残りの時間が少なくなっていた事もあってか、その説明に導かれるように、私も納得してしまったのである。

しかし、「彼」は納得していなかったのだ。
ロングドライブを兼ねた復習と回答書の準備、そして1時間に渡る幾何学論議によって、心の奥底で眠っていた若き日の私が呼び起され、「お前が立てた方程式は間違っているぞ」と叫んでいるのである。それ以来、「Yaw、Pitch、Roll」にうなされるように早暁目覚める日が続き、睡眠不足からか風邪をひいて寝込んでしまった。そして、休日の午後、ベッドに横たわって考えた。「これが、フリーランスとして生きる」と云う事なのだと。

このような場合、会社勤めであれば、「先日の考察には間違いがあった」と上司に伝え、改めて検討の時間を貰えば済む事である。しかし、一期一会のフリーランスはそう云う訳にはいかない。間違った事を伝えれば、それは即、自身の評価へと跳ね返り、間違いなく次の仕事は来ない。なによりも、相手に与えてしまった「使えない奴」、「無責任な輩」と云った印象を挽回する機会が与えられない厳しさは、如何に大きな責務を担おうとも、会社員では体験する事のないものであろう。

私自身は、サラリーマンと云う範疇においては比較的大きなリスクテイクをし、そのリターンを得てきた自負があった。「サラリーマンは気楽な商売だ」と揶揄される事に対しても少なからぬ反発と、「自分は違う」と云う強い思いもあった。しかし、たった1時間のスポットコンサルの成り行きに心を痛め、毎日を不安に苛まれて過ごす事を経験したからには、こうした自負心の裏にある「甘え」を自覚せずにはいられない。

そう思い至った数日後、正解が降ってきた。そう、私の場合、答えはいつも降ってくる。それは、職場でトイレに行く為に立ち上がった瞬間であったり、自宅で風呂の湯につかった瞬間であったりする。ただこの時はちょっと違っていて、正解に辿り着いた「彼」に、例によって早暁に叩き起こされたのである。
幸いな事に、正解は先日、彼と私とが導き出したものと同じであった。私たちの結論に間違いはなかったのである。まったく、人騒がせな「彼」である。

思えばあの頃も、細かな立証に手間取り、不安に駆られ、右往左往したものだった。なにぶん、その職場で私にしかできない仕事だったから、相談相手がいない訳である。来る日も来る日も考え続け、答えが突然降ってくる。こう云う体験を何回もした。新製品を構想どおりに開発できるかどうかが、23歳の新入社員が「方程式を解けるかどうか」に依存している状況を想像してみてほしい。

そんな私だったから、「サラリーマンは気楽な商売」には不愉快な思いも強かったものだが、フリーランスとして生きる事には、担当する職務の難易度や求められるスキルなどとは別の次元での、きわめて強い厳しさがある事を、定年を過ぎてようやく気付いた事実には、素直に恥入るばかりである。
これは、複業によって得た、「仕事」に対する意識変容であろう。

ここまでお読み頂いて、ありがとうございました。
「不定期」と云いながら、ものごとが急展開した事もあり、結果として毎週投稿する事に相成りました。
初めての複業を終え、「働く事」に対する意識も変わりました。あれから数週間が経ち、彼からのリピートオーダーはないものの、時折やってくるメカトロ系のオファーに応札はしています。まだ、成約には至りませんが。

このような状況ですので、このマガジンは、ここで一旦筆を置き、今後は新しい展開があれば投稿を再開させて頂く事に致します。

想像以上の多くの方に読んで頂き、「スキ」も頂戴しました。この事は、複業への挑戦以上の喜びを与えてくれました。

ご愛読頂き、ありがとうございました。


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