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日本の四季を感じて生きること

退職間近で全然働かなくなり、行動を活発にしてきたので一時的に「働くちかちゃん」から「動くちかちゃん」にした。「働くちかちゃん」も、来年には戻す日が来る。

「どうして日本に帰っちゃうの?もう絶対に帰ってこないの?」
過去、滞在したマレーシアとシンガポールで仲良くなった人から聞かれた質問。国の気候と連動したように心が暖かい人たちなので、当地が嫌になったのか心配してそう聞く。嫌な思いはゼロではないけどそれが理由で帰る気持ちはなかった。自分の将来を考えた時に日本で生きたいと思った理由の一つとして
「日本で生まれ育ったから、日本の四季が恋しくなっちゃったんだ」
と答えてきた。その度に一年中常夏の南国で生きてきた現地の人には、それってどういうこと?という感じのよう。現地でご結婚された方々からは「あ〜!わかる〜!」という人もいれば「私はむしろ冬が嫌いなんだよね」という人もいて半々に分かれる。

四季を感じて生きること。それは頭で考えるよりずっと感覚的に染み込んだもので、四季を感じることで生きたくも死にたくもなること、人間の私も芽吹く若葉であり落ちる枯葉であり自然の一部だということに、大人になって気付かされた。四季がないと気付きが鈍くなる。春に降る雨の匂いと夏の雨の匂いが微妙に異なっていることが分かるというのは、生きている中での発見が多い。人の気持ちに気付けたり、自分の体調を感じたりする事にも繋がっている気がする。
あ!猫が寝ている!可愛い!、あ!カタツムリだ!結構大きい!とか、小学1年生的な好奇心と興味で良い。心穏やかに過ごせない日があるからこそ、小さな事に驚き・喜び・幸せを見つけられる豊かな人であれば、自分自身を大切に出来て人にもそう出来るんだと思う。

インターネットが密着した時代にコロナの影響が出て、家の中にいても情報から四季を感じる現代。秋には紅葉の、冬には雪の結晶の商品パッケージはお馴染みになり、本当の季節の一歩前に次にくる季節を先取り紹介している。私たちはディスプレイを見たりパッケージを手に取って、嗚呼もうクリスマスだな、なんて思う。それはとても素敵なんだけど、私はそういうのがちょっと寂しい。青い空の下で北風に頬を撫でられ、鼻先をちょっと赤くして、白い息を吐いた時に何を思うか。自分が感じる四季を楽しみにしている。

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