動くちかちゃん

あらすじ 2020.9月現在 大学時代に活発に国際交流活動をした後20代半ば「海外で生…

動くちかちゃん

あらすじ 2020.9月現在 大学時代に活発に国際交流活動をした後20代半ば「海外で生活しながら自分の多様性や価値観を広げる」をモットーに東南アジアに5年ほど滞在。仕事自体はやりたい事では無いものの学びが豊富にある毎日を過ごす。2020年12月30歳を目前にして日本へ帰国予定。

最近の記事

日本の四季を感じて生きること

退職間近で全然働かなくなり、行動を活発にしてきたので一時的に「働くちかちゃん」から「動くちかちゃん」にした。「働くちかちゃん」も、来年には戻す日が来る。 「どうして日本に帰っちゃうの?もう絶対に帰ってこないの?」 過去、滞在したマレーシアとシンガポールで仲良くなった人から聞かれた質問。国の気候と連動したように心が暖かい人たちなので、当地が嫌になったのか心配してそう聞く。嫌な思いはゼロではないけどそれが理由で帰る気持ちはなかった。自分の将来を考えた時に日本で生きたいと思った理

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      ダラダラ書いてしまうこと必至。誰得な想いも自分の為に残しておこう。 ずっと勇気がなくて言えなかった、別れたい気持ちを遂に言えた。勿論、私が長年思っていたことは彼にとっての突然の天変地異だし、どんなに静かに真面目に言っても1回言っただけで分かってくれるなんて思っていなかった。混乱と動揺で唸るのもよく分かったから、なるべく静かに、ゆっくり話した。ずっとちゃんと言いたかったこと。 仕事後、自分から久しぶりに連絡。「フードコートでホッケンミー、一緒に食べよっか?」って。ホッケンミ

      • 自分を生きることを教えてくれる映画‐Sliding Door(1998)‐

        私は仕事、恋愛、家族、色々な人生での出来事を映画を通して考えるのが好きです。その中でも印象的なSliding Door(1998)を人生観を見つめたいときに見る映画としておすすめします。(ネタばれはしない、はず) ーあの時電車に乗れなかった私、あの時電車に乗れた私。ふたつに枝分かれた「私」の人生のストーリー。これは偶然?運命?幸せはどう手にする?ー この映画は、今となればベタな演出と構成かもしれないけれど、これが20年以上前の作品なので、元祖はここかと思っていいと思う。主

        • 20代前半に経験したドン引きなストレンジャー達ランキング

          最近つくづく思うのです。小さな縁も大切にすることが、末広がって自分の人生が好転したり更なる良縁に結びつくのだな、と。なので出会う人には暖かい気持ちをもって接しよう、私という人間に優しくしてくれることに感謝して生きよう、と思います。しかしながら人間なので、万人にそう出来るかといったら難しいのです。特に、ナンパ?のような突撃且つ一方通行な接触には、たとえ純粋な好意であっても申し訳ないけれど命の危険を察する恐怖を感じるばかり。今日は20代前半の頃に頻繁に遭遇したストレンジャー達(一

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          野良猫はSNSに肯定も否定も求めていない。

          私は自分を野良猫系SNSユーザーだと名付け、自己分析している。野良猫系SNSユーザーとは、まさに野良猫のようにきままにSNSに現れてはそこにいる人と戯れ、好きなことをして、暫く現れないと思いきやまた現れる、きまぐれなユーザーのことである。フォロワー○○○○○人突破目指してます、とかおは○○(独自の挨拶)!今日もいいねよろしく♪といったいつでも構って欲しい飼い犬系ユーザーなどとは属性が大きく異なる。野良猫系ユーザーは、特にいいねの数やフォロワー数にこだわりがなく、いつも注目され

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          たった1ヶ月のアルバイトで働くのが怖くなった頃の話。

          最近、やじりまおんさんという舞台女優をされているYouTuberさんの動画をたくさん見ている。飲食店をバリバリ経験していて、経験談を再現した動画が視聴者の共感を強く掴んでいる。やじりさんの壮絶な経験には程遠いが、私は初めてのアルバイトによって働く意欲を喪失してしまい、高校〜大学在学中これから社会に出て働くことが怖くて堪らなかった。 17歳の時、高校卒業を間近に控えて初めてアルバイトを経験した。元々アルバイトを勧める家庭ではなかったが受験も終えて暇だった為、部活の友達がやって

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          内気な子だった私が海外で生活したのは。

          海外で生活する理由は十人十色だが、私の場合について書く。「働くちかちゃん」だが仕事については割愛させていただく。 結論、私は多様性と価値観を広く持った、柔軟な大人になりたかったから、その修行だと思って海外で生活している。 思春期に父を職業から由来した病気で亡くした。その時に、父が見たかった娘として生きたいと思う半分、自分が生きたかった人生を我慢して広い視野が持てないまま狭い世界で短い生涯を悔やむのは嫌だ、と強く思った。多分父が生きていたら私はそう思わなかったと思う。 私

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