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まちづくりの雑談

「まちづくり」という言葉を聞いたことがある人は多い。しかし、なんなのかと言われると説明が難しい言葉だ。

今の日本の国の政治を見ているとなかなか変わらないような、どこをどう変えていけばいいのか、とわからなくなる。

国がダメなら市町村や商店会など小さな単位で考えるのも一つの手立てだ。身近な地域づくりを考えると途端に出てくるのが「まちづくり」という言葉だ。

まちづくりという言葉は1970年ごろに生まれた言葉で、それまでは村おこしとか村づくり、都市計画など似たような言葉で表されていた。

1970年まで、どのように町や村が作られていたのかと、1970年以降のまちづくりという言葉の時代の歩みを見ることで、まちづくりという言葉の意味を、少しでも理解してみようと思う。

言い訳

あらかじめ言い訳を述べる。
まちづくりの全体像を捉えるには膨大な情報量が必要だ。民俗学的、歴史的、政治的な側面を合わせながら書く必要がある。それを無理やり、書いてしまおうというのがこの文章だ。なのでツッコミどころが満載な内容だが加筆修正を加えながら、少しでも皆さんの生活の役に立つ文章になればなと思う。

民主化と封建制

封建社会だった日本

江戸時代に町人文化が花開くまで、日本国はほとんどが一次産業に従事してきた国であり、国内、または地域内で大抵のものを自給自足してきた。

次第に金物を作る鍛冶屋、建物を作る大工など専門家をつくり分業することで文化を醸成してきた。そして生産をする田舎とモノや専門家の集まる都市が生まれてくる。

他の世界ではどうかというと一次産業から専門業のが流れは同じだ。欧米諸国は大航海時代や産業革命を経て、植民地や労働者階級と一般市民の差別化が生まれ、一般市民のための政治やまちづくりがなされてきた。

そのため人民のための人民による政治が定着し、発展したのが日本よりも欧米のほうが早かった。

日本は百姓と百姓を束ねる庄屋や寺の存在でムラ社会を運営し、発展してきた。トップダウン型でムラを束ねる長と、支える農民たちで治めてきた封建社会といえる。

困り事があれば、団結するよりもまずは長に相談。長の決定に従い治めていく。封建制ではチームワークや規律が重んじられ、はみだすことよりも従う能力が試される。

日本の民主化

江戸後期からの農村一揆や明治維新以降の民権運動や各運動の中で欧米諸国の民主化にならって封建制からの脱却もしてきた。

日本の民主化は大正デモクラシーや男女平等、普通選挙の確立など多岐にわたる。

反対に富国強兵や殖産興業の中で軍隊の規律や工場労働の主従なども発達してきた。

封建社会と民主主義が混ざり合いながら1945年の敗戦を迎える。当時は軍国主義の中で主従が強く、その中で民主化が進められた。

封建制の解体

戦後は封建制の解体が続く。農村の封建制を解体すべく、農地改革により、大地主と小作農の関係性を解消。

1950年ごろの朝鮮戦争の特需や1960年代からの高度経済成長によって都会に人口流出が相次ぎ、優秀な人材がムラから消えた。

1947年の日本国憲法の誕生とともに地方自治法が生まれ、輪番制が一般化し、ムラのリーダーが存在しにくい制度を作ってきた。

また市町村合併も明治、大正、昭和20-30年ごろと平成10年代半ばに大規模に行われ、1888年に71,314の市町村が、2024年現在、1,718自治体まで削減されている。

地域の小さな困りごとはリーダーや村役場が解決するのではなく、住民個人やその親族といった小さなコミュニティでの解決が増えた。

憲法改正や法律の制定により、封建社会が解体される中で、民主化が進まなかったのが最大の特徴だ。

根強く残る封建精神

学校教育や部活動、会社では規律に重きを置かれ、自分の意見を伝えることや、新しい制度の確立の技術や方法は学ばない。封建制は制度として崩れていくが、精神面や教育面で引き続き根強く残った。

また古来よりムラ社会を守るため、村の封建制を農作業や祭り、冠婚葬祭などの地域行事を通して、村人から村の若い世代へ、ゆっくりと教えていくノウハウが各地域に確立していた。

民主化と封建制の兼ね合い

民主化とは都市のように多様な文化や老若男女が交わる社会を作るために法律や制度などのルールを作り、より豊かな社会を育むものだ。

対して日本では最近まで、いじめや飛び出ないことが良しとされるなど、多様性を排除する傾向にあった。チームワークを良くし、組織のあたりまえをつくることで、高品質な製品を生み出して、発展させてきた。会社やチームスポーツでは役に立つ。

嫌なことがあったら我慢して、上の方針に従う。上がしっかりしていなければ、原因の究明や仕組みの刷新は奥手になってきた。また上に立つものはリーダーとして学ぶことと、従えるものを統率する力量が試される。

封建社会が肌感や経験として根強く残ってはいるものの、封建制の核となるリーダーづくりや封建制を続けるための仕組みが排除されたのが日本だ。

企業や親族など小さな単位で封建制をつくり、公的なものや都市の単位で民主化する。このように封建制と民主化の両輪を噛み合わった状態が作れないままでいた。

まちづくりの誕生

民主化が進まなかった反動のまちづくり

封建制からの民主化の流れが押し寄せている1970年代に生まれたのが、まちづくりという言葉である。

ムラ社会で育った封建制のリーダーが残っている時代に、民主的な運動でまちづくりをする。これが日本のまちづくりの誕生の背景ではないかと考える。

民主化したい対象は封建制の残る一国集中の国政と国政にトップダウン型で従う地方自治に対するものが多い。

廃れゆく商店街、大資本に壊されていく古民家や芝居小屋、失われていく地域内のコミュニケーション。

町の財産や、暮らしを豊かにするものが無くなっていく。国や行政はなんとかしてくれない。自分たちでやるしかない。

イベントや住民運動の中で、自分たちの暮らしやすい環境や関係を築いてきたのが日本である。

都市の暮らしやすさ

東京都世田谷区や神戸市真野地区のニュータウンや団地、都市近郊の話題が初期は顔を賑わす。

地域の都市化にともなうコミュニティ不足の解消と緑化やビオトープづくりなど、都市空間の豊かさをつくる取り組みだ。

文化財や緑地のまちづくり

加えて地域の壊れゆく町並みや寺社などの文化財を守る住民運動が起こる。1970年の文化財保護法の改正など、町並み保存運動も大きな軸としてある。

またアスファルト化、コンクリート化していく町に対しての森や緑の保全も風致地区や生産緑地などの制度として獲得していく。

ハコモノのまちづくり

今となっては「ハコモノ」として批判の的ともなるが、公共施設などの建造物を建てることもまちづくりとされた。

所得倍増計画や2000年代の平成の大合併ごろまで、地域コミュニティの創出と、地域内の建設業の仕事をつくり雇用を創出する思惑が組み合わさり、たくさんの自治センターや文化ホール、市庁舎など公共施設が建てられた。建設業的なまちづくりは、漢字の「街づくり」「町づくり」で使われることも多かった。

特産品のまちづくり

また一次産業である農林漁業の産業を守るための特産品によるまちづくりが各地で行われる。

愛媛県のみかんや福岡県の明太子、新潟の米など原材料に近いものをブランド化していくことや、高知県馬路村のごっくん(ゆずジュース)や秋田県のきりたんぽ、栃木県日光市の湯葉など加工して名物を作るものもある。

観光まちづくり

1次産業だけでは戦えない地域や温泉街、宿場町など本来の産業が廃れた町が3次産業である観光に力を入れた観光まちづくりも流行する。

観光まちづくりでは名所としての街並みや文化財、グルメとしての特産品が目玉商品となり、それを取り巻く宿泊施設や移動手段の電車やバスが産業として確立していった。

近年の外国人観光客を狙ったインバウンドという言葉も観光まちづくりのひとつといえる。

イベント型まちづくり|商店街など

1973年の大店法(大規模小売店舗法)によって大規模店舗が立ちやすくなり小売店が苦戦を強いられるようになる。1970年ごろから町おこしイベントとして、衰退した商店街が1日でも賑やかな町にしようと、イベントが各地で勃興した。

その土地の歴史になぞらえたものや、親族や地域で楽しんでいた年中行事を大規模化したもの。気をてらった奇抜なイベント。よその地域や地域出身者も楽しめる観光の一部として各地でアイデアが絞り出された。

個人商店を苦しめる動きは、モータリゼーションや通信販売の加速など、便利さと引き換えに強まった。最近ではイベントも行政が補填したり、行政主催に置き換わったものも多くある。

空き家活用のまちづくり

1990年代以降商店街や団地など空き家が目立ち始め、空き家を活用する事例もまちづくりとして扱われる。

関係・交流人口のまちづくり

お店や農家ではなくサラリーマン化する中で失われた地元コミュニティを作るコミュ二ティスペースや地域内交流のイベントもまちづくりとされる。

人口減少のための移住者を呼び込むことや、住まないまでも仕事や、農作業イベントなどで町を訪れたり、地域産品を購入してくれる、関係人口、交流人口を作ることもまちづくりとして扱われることが多い。

組み合わせのまちづくり

また移住者と空き家活用を組み合わせた空き家バンクの事業や空き家を使って特産品の加工場を作ったり、加工場のコミュニティで地域を活性化するなど、組み合わさった取り組みも多く見られる。

福祉まちづくり

また民主化の中で社会的弱者への支援として子どもや子育て支援、ご年配の方、障がい者など福祉に力を入れることもまちづくりの重要な一つになっている。

まちづくりのまとめ

いままちづくりという言葉で連想されるものはだいたいそんな感じのタイプに分かれる。

封建制から民主化を進める中の住民運動としてまちづくりは歩みを遂げてきた。しかし本質として、封建制を残すにせよ民主化を進めるにせよ、住んでいる人が主役であることは間違いない。

仕事がなくなったらどうしよう、廃屋だらけのゴーストタウンになったらどうしよう、知り合いが全くいない地域になったらどうしよう。。。今の暮らしの不安からより改善したり豊かな暮らしになるように、という想いから行動を起こすことがまちづくりである。

根っこには行政へのアンチテーゼ

そしてなにより、莫大な予算と人材が集まっている国政や地方自治体がこの動きの先導役と仕組みや制度で下支えする必要がある。それらが十分かと言われたら、現状、不十分である。

20年ほど前に流行った映画の名台詞ではないが、まちづくりはワークショップを行う会議室で起きているのではなく、ふだんの居酒屋や道端の世間話といった現場で起きているのだ。

現場に耳を傾ける頻度を上げることがまちづくりで一番重要なことだ。

事務だけをやってお金をもらうのではなく国や県から言われた作業をこなすのではなく地域の課題に耳を傾け、行動に移し、制度化し、住民の暮らしを豊かにするのが公務員だ。

そこが抜け落ちてしまうと、どれだけまちづくりが盛り上がっても国として町としてはジリ貧である。

日本におけるまちづくりは封建制と民主化の狭間でトップである国や地方自治体の不甲斐なさが根幹である。

これを打開するには一市民の住民が行動を起こす以外他にはない。

間違っていることに仕方ない、というのではなく、変える方法を考え行動に移す。1人で難しければ束になって集団で行動する。

やり方がわからなければ、もっと知っている人にプライドを捨てて教えを乞う。

それがまちづくりとしてトップから勝ち取る真の意味での民主化だ。

そこには戦いもゼロではないが仲良くしながら進めることもできる。結果として今より良い暮らしの実現に向けて動くことがまちづくりである。

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