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3月の独白part2 能力や適性への警鐘

こんにちは。おかゆです。

変人がホンキで生きてるコミュニティ『心象セカイ再考(シンセ)』を運営しています。 普段はコーチングで自己理解のサポートをしたり、 個性収集家として様々な方とお話するなかで個性を探求し、伝える活動をしたりしています。

今回のキーワードは
『能力』『才能』『強み』『特性論』『適性』

part2ということで、前回の続きとして投稿していきます。

part1はこちら!

~また独白調~


能力や才能への警鐘

日頃、ストレングス・ファインダーという自己分析ツールを扱っている。

このアセスメントに私はとても支えられ、自信をつける&取り戻すことができたので、お勧めしたい。コーチングを始める前から周りに勧めていた。

で、ストレングスファインダーを推している人間の癖に、と思われるような発言をちょっとしてみる。

ストレングスファインダーを極めたら、ストレングスファインダーがいらなくなると思うのだ。

何故なら、ストレングスファインダーもエニアグラムも数秘も、あらゆる自己分析ツールが『あなたが持っている性質を、そのフレームワークで表現している』にすぎないからだ。

あまりにもツールに依存しすぎると、自分を見失う。それか、他者に対しても厳しくなったり、見下してしまったり、差別に繋がると思う。

例えば、すごく警鐘を鳴らしたいことを先日ポストした。

『○○の資質ないわ』って、よく言っている人がいる。

いやいや、ないんじゃないんですよ。
持ってるんですよ。
ただ、使い慣れてないんですよ。
それだけ。

ストレングスファインダーは性格理論のうちの『特性論』に含まれる。
性格理論は類型論、特性論のおおまか2流派があるが、日本では、特性論が主流だ。

特性論は『相対的』『量や程度をみる』『誰しもが持っていて、その程度が異なる性質』で表している。

ストレングスファインダーでいえば、34資質を誰しもがもっていて、それが1位→34位までついている。

順位って、わかりやすい。
私はストレングスファインダーがとても好きだし、興味深いし、感謝している。

しかし、伝える側が正確に伝えないと
『○○の資質がない』
とか
『戦略性があるから○○できるんでしょ?』*
とか
『最上志向上位なんだから、もっと追求してよ』
とか

そんな表現をする人が増え、差別に繋がると思うのだ。

*原因論的な考え方ではあるので間違ってはいないんだが、あくまでその人が自然とやっていることをストレングスファインダーの資質で戦略性と表現するだけであって、もともとその人がただやっていることなのである。(伝われ)

あとは、誰しもに「優しさ」「明るさ」「卑屈さ」など様々な面がある。特性論はそういう見方である。

世界は伝言ゲームである

なんでそんな風になってしまうか?というと。
この世界は伝言ゲームだからだ。

ストレングスファインダーの専門家が
『私は○○の資質がないので~』
といったら、聞いている側は
『あ、下位の資質って、ないってことなんだ』
と捉えると思う。

私も、ストレングスファインダーについて、コーチングを始めるまで、複数人のプロからお話を聞く機会があったが、2人目の時に「誰しもが34資質全部持ってる」を知った。
それまでは下位資質は「使えないもの」だと思っていた。

恐らく最初の方は正確に伝えてくれていたと思うのだが、理解がまだ身に染みていなかったのだ。あとは、当時の環境もあったと思う。

自分が下位の資質については特に、理解が及びにくかったり、自分が上位の資質を下位に持っている人に対して見下したり…なんてことがないことを願う。

心の中で思っちゃうのはしょうがない。それも人間らしさ。
しょうがないんだが、それによって、表立って相手を傷つけるようなことがないように。

天職や適性は自ら選べ

話がめちゃくちゃ飛ぶが、言葉って、魔法だと思う。(着想2位)

書物に、石板に、洞窟に、文字がある。
それが現代に受け継がれて、私たちは過去の文化や伝統を知れているのだ。

ともすれば、言葉は万能のようにも思えてしまう。
日本は識字率が高い。みんな万能。

本当にそうだろうか?

人類の歴史を振り返ると、
争い、争い、争い…

村同士、国同士、家同士、チーム同士、友達同士…

どんなに時代が移り変わっても、人同士はぶつかるのである。

ぶつかること自体がなにか新たなことを生み出すこともあるけれど、それはしなくてもいい争いだったよね、というのがあると思うのだ。

小さな子供の喧嘩や、付き合いたてのパートナー同士、新婚夫婦など。

最初はお互いにすれ違ったり、ぶつかったりもする。
その結果、お互いに本音がいえたり、安心して一緒にいられるようになったりもする。

だから、ぶつかることも時には必要なプロセスなのだけれど。

どこかで
『人って、みんな違うよね』
『100%わかりあうことはムリ。だけど、わかりあおうとすることは、できるよね』
というのに、気付く瞬間があるし、伝えたいのだ。

話がブレブレだが、人の特性や性格をみるものとして、これは個人情報であるし、慎重に扱いたいと、非常に敏感になっている、この頃である。

未来は、もしかしたら、遺伝子や生まれなんかで、役割が決められる社会がくるかもしれない。

それって、楽かもしれないし、今私は資本主義社会の人間だから違和感を覚えているのかもしれないが、なんか、決められるのって、嫌じゃあないだろうか。私は、いやだ。

だから、自分で、自分のやることを選ぶ。

この世界で「私の役割は、これにしよう」と選択する。

自らの意志で決めて、楽しければ続けるし、嫌だったら変えても良いのだ。

そういう、自由があったらいいなと思う。

末来予知者ではないのだが、なんだかそういう「決められた」社会ができそうで、危険を感じている。

『適性』『適職』という言葉の捉え方も、注意したい。

自分が「これは天職だ!」「これは適職だったな」と思うのはいい。

しかし、誰かに「○○さんにはこれが適職です!」と言われて、そのまま鵜呑みにするのは、ちょっと危険だと思う。

人は社会的な生き物である。環境にとても影響をうけやすい。

『これから、あなたが何をしても無駄です』と絶対的ルールのように言われてしまたら、無力になってしまう。(実際にそういう研究がある)

誰かに決めてもらうのは楽だが、まずはそれをヒントにするにしても、最終的には「自分の意志」で決めることが大事だと思う。

また、あまり、『自分軸』って言葉は好きじゃないのだが(嫌いというわけでもないが流行りの言葉な気がしている)、今のうちに自分のやりたいことの方向性、指針というものを持っていて、どんな社会になったとしても

『私は、こうありたい』
『私は、こうする』

そう思い、自らの意志で進める人が増えて行ったらいいなと思う。

なので、私はいまこの仕事をしている。


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今回は、ここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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