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初めて『旅したい』と思った場所は?

行ってみたい!!!!

人生で初めて旅行したいという気持ちを抱いた時のことを覚えていますか?

私の場合は小学校の6年生の歴史の授業で『鎌倉時代』を習った時だった。

今の今まで、飛鳥だ! 奈良だ! 京都だ! と言っていたと思うと、急に鎌倉ってなに? それってどこなの?

大阪生まれ大阪育ちの私からすると、教科書に出てくるほとんどの場所は実際に知っている場所だったのに、突然のニュープレイスだ。

「鎌倉ってざっくり東京の近く」と聞いて

(日本の首都くらいはわかる、そして行ったこともある)

と心がすーっと落ち着いた。

鎌倉時代が進んでいくと『奥州藤原氏』というニューワードが飛び出す!

(誰だ! 何者なんだ!)

聖徳太子が教科書に出てきていた頃は

「聖徳太子が建てたお寺ですよ」

そう言って『四天王寺』が実際に見れる生活だったので

「東北の豪族で、岩手県の平泉という場所に住んでいました」

なんて聞いた日にゃ

(私がまだ見ぬ岩手に! そんな豪族が住んでいたのか!!!!)

私の中にある『日本史地図』が一気に広がって、妙にそわそわしたのをよく覚えている。

47都道府県もすでに勉強して、日本に岩手県があることはもちろん承知していたけれど、

1000年以上も前に、京の都からも、現在の都よりもまだ遠く離れたところに豪族が住んでいて源義経をかくまっていたのだと知り、

(どんな場所なんやろうか、寒いんやろうな、どんな暮らしだったんだろうか・・・)

「平泉に行ってみたいな」

平泉、それが私が旅したい場所だった。

いざ、平泉へ

人生で初めて行きたいと思った場所だったけど、そんな気持ちも忘れているもので、

誰かが平泉に言ったと聞くと、

(ああ、子供のころに行ってみたいと思っていたな・・・・・・)

結局、実際に平泉を訪れたのは、それから20年以上も経ってからだった。

秋の雨の日に初めて平泉に降り立った時、

雨の演出もあってか、まったりとした空気を肌に感じて、

確かにここにはたくさんの人が営み、暮らしていたんだ

そう空気感でわかった気がした。

豊潤なところやな

これが20年以上暖めてきた『行ってみたい場所』なんだと深いところからじわじわと感動が込み上がってきた。

中尊寺では金色堂の復元の様子や、平安末期の当時の人が使っていたものなどの展示を見ることができた。

中でも、衣服の残欠の展示物を目の当たりにしたとき

(うそん・・・やっぱり奥州藤原氏の権力は相当なものやったんや)

1000年経っても衣服が残っているということは、出土しなかったということだ。

豊かな人たちがこの場所で確かに暮らしていて、奥州藤原氏が滅んだ後の時代でも、それらをちゃんと大切に守った人たちがいるからこそ、衣服が土に還ることなく、

たった今、私の目の前にコレがあるんだとわかって、心がプルプルと震えた。

感動しすぎると嗚咽してしまう癖がある私は、久しぶりに嗚咽級の感動だったが、なんとかギリギリ耐えた。

そして、奥州藤原氏の当主の4体の遺体と装飾品が眠っていたとされる金色堂を実際にみると、

その名の通り『金色』に光り輝いていた。

感動した! といいたいところだが、

「あれ、なんかおかしいな?」

というのが一番初めの感想だった。

復元については当時の姿にかなり忠実だと、金色堂を見る前の展示などで何度も何度もアナウンスされていたのだが、

「それにしても豪華すぎやしないかい?」

もし、これが本当ならば、あまりにもこの土地は栄えすぎている。

「計算が合わない」

何をどう計算したわけでもないし、何かをわかっているわけでもなかったが、財力がありすぎる。

奥州藤原氏は4代、100年以上も栄え、発展していたのだから、

こんな豪華なお堂を建てて、財政が悪化して滅びるようなこともなかったのだと思うと、

「相当儲けてたんやわ」

特別に奥州藤原氏に関して調べたり勉強していたわけでもなかったので、

私は漠然と『金』で栄えたと思っていたが、

金だけでここまで栄えるものだろうかという疑問を大阪まで持ち帰った。

なぜあんなにお金持ちだったんだろう…

大阪に帰ってから、母校へ足を運んだ。

大学で歴史を勉強していた私だが、不勉強な生徒だったので何とかギリギリ卒業できたタイプだ。

何度も単位を落とし、何年も同じ授業を受けたりしていたので、先生にもよく覚えられている。

教授の研究室に遊びに行って、金色堂を見たときのことを話した。

「あれじゃ計算が合わない、金だけじゃないと思った」

そう手放しに疑問をぶつけると

「正解や、馬の生産が盛んやったからや」

当時の馬は戦にも、農業にも、運搬、移動にも必須だったから、馬で相当な財を成したと先生が教えてくれ、

計算が合ったと納得できた。

「平泉に行ってみて、奥州藤原氏は相当な権力と財力を持っていたと確かに感じた。だから鎌倉にいた頼朝からしたら京都と平泉に挟まれて怖いから滅ぼそしたんだと思った、義経のことはいいかがりだったんじゃないかな」

文献を見たわけでもないし、熱心に勉強したわけでもないが、実際に見た時の感覚を手放しで自由に話すのは、この上ない幸せだった。

「君のその考えを先生は否定することはできないよ、実際に見てそう思ったのだからそれでいい」

大学ではほとんど勉強しなかったが

『実際に見て感じる事の大切さ』

それを大学で教えてもらったことも、それをちゃんと得ていたことも、今でも私の中にそれが息づいていることも実感した。

自分の小さな興味を確かめること、実際にこの目で見ることは、とても贅沢で豊なことだ。

まだ12歳だった自分に対して、20年以上もかかってしまったけど、行ってみたいという想いを叶えたよ、と少し誇らしげに語りかけた。

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