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自分の感情がコントロールできなくなったから、私は大好きな恋人を手放した。

さよなら だいすきなひと
さよなら だいすきなひと
ずっと だいすきなひと
ずっと ずっと ずっと だいすきなひと

……どうも〜。
花*花 出してきちゃいましたね、ほんじゃ、恋愛系のこと書いとこうかなってことで。

恋愛の話は好きですか?嫌いでもなんでもいいんです。近くて深い人間関係の話を今日はしようと思います。だって、恋愛なんて「人間関係一級」みたいな難しさあるじゃんね?

「距離を置いて、様子をみましょう」という常套句

出会いがあれば、別れもある。そんな時に常套句のように出てくるのが
「お別れしましょう」、または、「距離を置いて、様子をみましょう」。だろうなぁ。

前者のお別れしましょう、ってなかなか言わないんですよ。私はね。

お別れしましょうってさ、だって言わなくてもお別れなんていつか誰でも時が来たらするものだからさ。自ら自然の原理に逆らう謂れはないんですよ。これ、めちゃくちゃ持論です。

自分で選択したって向こうが選択したって、自然と消滅したって、それはもうそこまでの縁だっただけの話だと思っています。

なんて冷静な今だから言えるけれど、やっぱり別れは悲しいものですよね。

私、昔から「またね、ばいばい」ってお茶やら食事やらした後の友人との別れ際でさえ悲しくなるくらいには繊細だから、恋人との別れなんて悲しさは尋常じゃないわけで…。

でもその感情は、絶対に人としての豊かさに繋がると思います。思うようにします。だってそうじゃなきゃ、採算が合わないじゃあないですか!同じ感情でも感情に幅のある人の方が、面白いに違いない。これは本当にそう。

「悲しい」の中に「嬉しい」「切ない」「喜び」「希望」「絶望」エトセトラ…そんなアンビバレントな感情を持つ人ほど面白くて豊かだなって思いませんか。=その人の価値、ではないけどね。大きな富ではある。

そんな感じで、近年の恋愛は後者の「距離を置いて様子をみましょう」が多かったですね。大人ですね。そもそも人間関係の失敗は距離感を間違えることから始まると思っています。極論。

ダメになった人間関係って心の距離(心的距離感)が近かったから起こる問題に起因していたと思うのだな。うん、間違いなくね。そこまでよくぞ他人を自分の心の中に入れることができたなと思います。今になっては、ね。

でもそれじゃ、きっとよくなかったんだよね。

大好きだから、自分からお別れをした。


それで、大好きだけど、自分から別れてしまった恋愛がある。

ここで来る。来るでしょう!?四方八方から「傷付きたくないだけだろ!」、「綺麗にいうな!!」の嵐。うるせえ、最後までおれの話を聞け?

そう、私から別れを告げた。どうしてかって、恋愛する、しない、以前に自分の欲望や感情がコントロールできなくなってしまったからだ。

私はいつの間にか自分の欲望や感情に支配されるようになっていて、相手のせいにするようになった。そこまでくると、相手のことなんてもう見えてない。

相手がいてはじめて成り立つ恋愛関係なのに、これではただの独りよがりな自慰行為になっている。

私は好きだった相手をいつの間にか、自分の感情を満たしてくれる都合のいいモノかなにかだと勘違いするようになった。

言葉をあてがうならば、怒りだとか嫉妬だとか羨望だとか欲望を相手へと容赦なくぶつけていた。そうしたら何をしていても頭にはその人の姿が浮かぶようになって何も手につかない。要するに依存していたわけだ。

そして私の欲望に応えようと必死に悩んでいたその相手もまた、私に依存していた。

どうして抜けられたのかといったら、私にはそんな自分たちの関係への自覚があって、周りにも依存傾向のある人がおり、それを何千人も見てきたからだ。誰だって当事者の延長線上に立たされているのだ。他人事なんてものはない。

さよなら、大好きな人。


私は、別れを告げた。一切の連絡を取らないように話し合いをしてお互いに約束をして、ようやくお別れをした。

よくよく考えれば、その当時は相手を憎んでいたと思う。好きだけど、大好きだけど、世界で一番憎い相手だった。

でも別れた今感じるのは、ただただ、依存関係になりやすいでの関わるべき相手ではなかったということだ。今だってなぜだか思い出すととてつもなく会いたいし、とてつもなく会いたくない。とてつもなく憎くて、だけど幸せになっていてほしい。

会いに行ったら、不幸にしてしまう。お互いに。そんなことが分かっている相手だった。今まで出会ったことのない感情だった。特別なんていう、綺麗な関係ではない。

そんな失敗もあり、自分で自分の感情をコントロールできる相手を吟味してから、お付き合いをすることに決めた。だからといって、情熱に欠けることもなく、前に比べたら燃え上がるような恋愛ではないかもしれない。

だけど、ここには「満足」じゃなく、「幸せ」がある。
満足は、続かない。幸せは、動かない。

そんな動かない幸せが、今の私にはしっくりくるのだ。もしかしたらまた溺れるような恋愛にのめり込むかもしれない。

その時はまた、それに溺れたらいいと思う。たくさん失敗して傷付いて、傷付けて成長したら良いと思う。

そんな自分の変化を見届けるのが、私の楽しみである。


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