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丁寧な暮らし、ベジタリアン、ミニマリストになれない私

「美味しいものを食べるのもいいけど、なにか自分の糧になるようなことをしなさい」

社会人になってから母に口酸っぱく言われている。この場合の「自分の糧になるようなこと」とは「習い事」を指す。

社会人となり、土日という限られた2日間が人生の主軸なんだとうっすら思っているので、そこに予定を詰め込んで、お友達に会うしかない。

一ヶ月に土日は8日しかない。
(文字にするとなんて少ないんだろう、8日しか人生の主軸がないとは一体…)
だから、毎月一回会ってる友達って、中学でいったら、毎日会ってる位の頻度なんだよなぁ。

ああ、習い事の話に戻ります。

習い事の中でも特に、母は茶道をよく勧めてくる。あとは料理教室とか、乗馬とか…。

ちなみに同年代の友達も、茶道・料理教室を絶賛親に勧められている。おそらく結婚相手としてふさわしい“女”になれという文脈で。じゃあ習い事のできる給与と時間をください、頼む、まじで。

とはいえ、習い事、なんか素敵な響き。丁寧な暮らししてそう。永遠に丁寧な暮らしもできないし、ミニマリストにもなれてないワタシ……。これはまた別のnoteで書こう……。

習い事かぁ。試しに調べてみたら一回一万円。いちまん…えん…。oh

なにかを習うって高いんだなぁ。逆に何かを教えるってこんなに価値あることなんだなぁ、私もなにかそんなスキルがほしい……。

私は習い事が苦手だ。色んな習い事をさせられてきたが、どれも続かなかった…。

まず、毎週決まった曜日と時間に行くことに抵抗がある。やりたい!と思ったときにやりたいし、逆にその曜日に別の予定を入れたいことだってあるし、融通が利かなくなるのがしんどい。

次に、知らない人とかかわらなければならないのがしんどい。(※これが理由で、高3のとき、某大手塾にかようことを断念した)
そこで友だちを作ったり、雑談できるくらいの関係にならないと“いけない”と思うと新しい人間関係を作らなければいけないことにしんどさを覚える。それなら、ひとりで、独学で、勉強すればいいや。

そんな中、親族に誘われた単発のお料理教室は、親族しか周りにいないし、単発なんで固定の日にいかないといけないわけじゃないので、気軽に参加できた。

「クックパッドがある世界で、なぜわざわざお金を払って料理教室にいくのかしら」

…意味、ありました。

料理教室の先生は、自身が食に悩んだこともあって、ストレスなく健康になることに対して芯をもっていらっしゃいました。

またちょっとスピリチュアルなのも好きだった。

例えば「女性は上方向のエネルギーがあるから、下方向のエネルギーを持つ物を食べるとバランスが良い」とか。えっ上下?陰陽!?えッ

砂糖や油を使わない料理にこだわっていらっしゃったのも面白かったポイント。

砂糖や油を使わずにこんなに美味しいものが作れるんだ。
野菜を使う料理のほうが難しいんだな。
罪悪感なく食べられるし丁寧な暮らしっぽい。#重要

と、色んな発見があり、何より料理がアートでスピリチュアルであることを知り、単発で2-3ヶ月に一度通うようになりました。

ちなみに私には、ベジタリアンにもなろうとした歴史もあります。
私を知ってる人からしたら、アンタ野菜と果物が大嫌いなのに何いってんの?という感じだと思いますが。もはや私は生まれながらのアンチベジタリアンみたいな存在。
頑張ったのですがタコスしか食べれるものがなくなり、一週間で断念しました。

けど、料理教室で習った野菜のレシピは美味しかった。次こそはベジタリアンで、丁寧な暮らしをして、ミニマリストになれるんじゃないか?

次は油を使わないコロッケを習います。

あ、茶道の話全然できてない。今度体験に行って来ます。私の落ち着きのなさを茶道が直してくれると信じて…。

パーソナルジムも始め、楽しんでるので、またこれについては別のnoteで、書こうかな。



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