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世界一周紀行 1章 アジア+a ②(キルギス・タジキスタン)


【7月】
16日 ビシュケク→オシュ
17日 オシュ
18日 オシュ→ムルガブ🇹🇯
19日 ムルガブ→ホーログ
20日 ワハン回廊
21日 ワハン回廊
22日 ワハン回廊
23日 ホーログ→ドゥシャンベ


【7/16】

早朝に起きて、みんなに見送られながらビシュケクを後に。
バスターミナルへ歩くもオシュ行きのバスがなかったのでバザール側へ向かう。

相場価格の1000ソムで連れて行ってくれる人がすぐに見つかり、しかも数分後に出発する。1時間は待つかなと思っていたので幸先の良いスタート。ステップワゴンで座席が快適だったのですぐに寝落ちしてしまう。

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相変わらず景色はよくて、特に馬の放し飼いが増えてきた。高地で涼しい。

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途中の休憩所のトイレがあった。スコップで穴掘って作った簡易のボットン。以外と臭いはしない。

隣に母と座っていた子どもが酔って吐いてしまう。揺れる道の中しんどそう。世界史のkindle本を読み続け、二週目に到達。受験生時代のよう。

運転手のおっちゃんがかなり運転荒くてまさかの12時間もかからずにオシュへ到着。
携帯で動画見ながら猛スピードで運転するので死ぬんじゃないかなと何度も思った。ゲストハウスに着いてから、近くの食堂で飯だけ食って、居酒屋へ。

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食堂街の奥の方にあるかなりディープな居酒屋でビールを飲む。周りも酔っておりよく分からないだる絡みなどされながら楽しく飲んでると、ちょっと離れにある居酒屋でおばちゃん同士の喧嘩が勃発。なぜか僕等がいた居酒屋へも入り込んできて揉める。野次馬も集まってきてちょっとした騒ぎに。途中で警察も来て一時騒然となる。ただみんな慣れてるのか、とくに何もないかのよう。笑
自分たちに危害及ぼされる雰囲気もなかったし、全然治安の悪さは感じなかった。昭和の日本の下町のよう。下町知らんけど。

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23時ごろ、帰り道に小学生が公園で遊んでいた。この時間帯に子どもが遊んでいるのは治安が良い証拠な気がする。治安どうこうよりなぜこの時間帯まで起きているのかも気になるが。

【7/17】

昼前ぐらいに次の目的地ムルガブまでの車を探しに向かう。いくつか車をチャーターできる場所へ向かうと相場価格でいけたので即決。今いるゲストハウスまで来てくれるらしい。幸先の良いスタートを切れた。
そのあと近くの美味しいって言われてるラグマンを食べに行く。

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腰がめちゃめちゃ強くて美味い。中央アジアは相変わらずどこの店も飯の量が多い。
帰ってきて共有スペースでのんびりしてると、日本人の大学生がゲストハウスへ来る。中国からチャリでこっちまで来たらしい。初めロバで渡ろうとしてたって話を聞いてびっくり。いろいろな旅の形がある。

その後一緒に行動しているマルさんとスレイマントーという山へ登りに行く。イスラムのおける信仰の対象になっている山で、世界遺産にもなっている。その割に入り口は小さいし、自分たち以外誰もいなくてびっくり。

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急斜面を駆け上がっていく。登りはまだいいけど、下り怖いなぁと。ビシュケクをサイクリングした時も思ったが、足場悪い道を下るのに割と恐怖心がある。小学生の時とかそんなこと考えたこともなかったが年をとったのか。
そんなこと考えながら頂上まで到達。

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オシュの街並みが一望できていい感じ。南側の住宅街の奥には砂漠、北側には家々が並んでいて、対比も面白かった。

ゲストハウスに着いてから、ゲストハウスにいた自転車旅中のしゅうたろう君を誘って昨日の居酒屋へ。話しかけらた人に笑顔で握手からコミュニケーションを始めていて、初めの第一印象って大事だなと思う。言語通じない中でそういったコミュニケーションは大事。
飲みながら話していたらまた喧嘩が勃発。次はおっさん同士の喧嘩らしく、昨日以上に激しそう。ガラスの割れる音などして、店の人も早くに店を閉めると言うので、僕らも退散。帰り近くの食堂でしめのスープだけ飲んで帰った。スープがシメに合う。


【7/18】

早朝にドライバーが来てくれ、ムルガブへ向けてすぐに出発。

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自分とマルさん以外は現地の人。朝早かったこともありすぐに爆睡。数時間後目を覚ますと絶景が。

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標高も上がっているので少し肌寒い。知らない間に標高4000mを超えていて、富士山より高いところへ来たのだなと。数時間後、国境付近の町に着く。ご飯を食べたあと外を歩いていると、子どもが寄ってきた。

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写真撮ったら喜んだので、お菓子をあげると他の子どもたちが10人ほど走ってきてお菓子の取り合いに。人間社会の縮図のような気がしてしまい少しあたふたした。お菓子もあげ方は注意しよう。

国境の手前に着くと急に車がストップ。どうやら軍事演習をしていたよう。

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イミグレまで到着。キルギスからタジキスタンへ。

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高度がかなり上がり、少し呼吸がしづらい

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国境で待ってる時に隣のおばちゃんからもらった謎のお菓子。
しょっぱいしまずい、、 

 そんなこんなで夕方にはムルガブへ到着。

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石造りの家が多くて急にキルギスから街並み変わったなと感じる。
田舎とはいえ思ってたよりも人口は多そう。
とりあえず銀行に行ってからホテルへ向かう。ホテルへ向かいながらクロックスを車に置き忘れたことに気づく。車がどこに行ったのかも分からないので諦める。
ホテルまで1kmも歩いていないのに息切れが凄いのと頭痛がした。

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コンテナが並んだバザールへ行き、ご飯を食べる。ひき肉の串焼きと肉入りのパンを食べる。タジキスタンは飯あんまり美味しくないって聞いてたけど普通に美味しかった。ホテルに戻って一旦休憩、20時ごろまで寝ていた。
その後近くのスーパーでビールだけ買ってホテルで飲む。次の朝も早いのと疲れも溜まってたので22時30分には就寝。


【7/19】

6時起床。高地順応を遂げ、頭痛は完全に消え去った。朝ごはんを済ませ、次の目的地ホローグ行きのタクシーを探しにバスステーションへ。
歩いていると、後ろから車を走らせていたおっちゃんが乗り場まで連れてってくれた。おっちゃんの友達がたまたまホローグまで運転するらしかったので、そのまま同乗することに。ただ出発が10時からとのことでそれまではのんびり。フランス人の3人組も乗せて、ホローグへ。3人はこのあとアフガニスタンへ抜けてトレッキングするらしい。

ホテルの朝飯でお茶を飲みすぎたので、尿意に耐えながらの地獄のドライブ。景色を楽しむ余裕もなく2時間ほど耐えていた。

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高台。砂地の中にパミール高原の道路だけが一本伸びた絶景でした。そのあと寝たり起きたりしながらパミール高原を進む。道も慣れてくると当たり前のように思えてくるが、ふと我に変えるととんでもない絶景。この光景が当たり前になってくるのが不思議な感じ。

終盤に差し掛かったところでドライバーが急に車を止め、植物をスコップで刈り取って袋に入れ出す。

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どうやら薬になるらしい。そんなこんなでホーログに到着。

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ゲストハウスについてからはワハン回廊ツアーの情報収集。
ワハン回廊とはアフガニスタンとタジキスタンの国境に面した回廊地帯。激しい気候や地形上支配を受けづらく秘境の地になっていると、数年前に地球の歩き方で読んでいらいずっと行きたいと思っていたエリア。

ちょうど2泊3日で回るツアーが300ドルで組まれていたので即決。2人でオシュからチャーターした場合の半額の値段で済ませることができた。

食後にスーパーで飲み物を買ってから帰宅。水と炭酸水間違えて買ってしまう。旅に出てから数回同じことをしてる。今回はcarbonated watersって書かれてたのに。。


【7/20】

6時ごろに起きて朝食を食べる。朝しっかりご飯たべれる生活続いてて嬉しい。健康的すぎる。そしてワハン回廊のツアーが始まる。

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初めはアフガンマーケットへ。アフガニスタンとタジキスタンの国境で行われている市場。入り口にはタジキスタンの軍人がいて、写真を撮れない雰囲気。急に人の雰囲気が変わったなという印象。

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アフガニスタン人はテレビで見たことのあるような服装で、タジキスタン人と比べて肌が黒く彫りが深い。売ってるもの自体は他のバザールとそんなに変わらなかった。人気なのが化粧品や洗剤などの日用品だったが、アフガニスタンが自国で生産しているわけでもなさそうで、タジキスタン人に人気になってる理由が何なのか疑問に思った。

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売られていた英語の教科書。
その後ワハン回廊を南に進んでいく。

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右手に大きな川が流れていて。対岸さんにはアフガニスタンがある。同じような風景だが、タジキスタン側とアフガニスタン側で家の作りや道の質が違っていて面白い。それほど民家は見当たらなくて、あったとしても町のようになっておらずまばらに点在していた。見たところ電線もなさそうなので、どのように生活しているのかが気になる。

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ガラムチャシマ温泉に到着。石灰でできた天然温泉。温泉はいくつかに仕切られていて貸切で入るようになっているらしい。かなり広めの浴槽で、硫黄の香りがほんのりと漂う。底には石灰が入っていた。数週間ぶりに浴槽に浸かったので生き返った気分になる。

そのあとご飯を食べてから次の目的地へ。食べたあとだったので眠くなり寝落ち。起きるとイシュコーシムという町に到着。ドライバー曰く、ここにもアフガンマーケットがあったらしいが、タリバンの活動が活発化した関係で4年ほど閉鎖されてるらしい。こんな僻地までタリバンの手が及んでるのかと。

気温がだんだん上がってきて、やたらと喉が乾く。飲み水も冷めてきた。
こういう時、氷を満杯に入れたキンキンに冷やした飲料が飲みたくなる。
海外の欠点は氷が作れないことも大きい。そんなことを考えてたら、ベストタイミングでドライバーのおっちゃんがペットボトルに川の水を汲んできてくれた。冷たくて美味しい。生き返る。

今日の目的地のビビファティマまであと少しというところで、ヤギと車が接触。ヤギが突然車に突っ込んできたからビックリした。

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ドライバーが車外へ出てヤギの飼い主と対面する。怒るのかなと思いきや、まず握手から会話がスタート。ちょっと世間話をして、ヤギの頭を撫でて解散した。中央アジアはどこともそうな気がするけど、まずは握手から会話がスタートする気がする。コミュニケーション手段として、握手から入るとポジティブに物事を捉えられる気がする。握手文化が楽観的な国民性を生み出しているというより、楽観的な国民性だからこそああいった文化が起こるのかなと。

ビヒファティマへ到着。山の上にあり、道が信じられないほど悪路。道を踏み外したら崖から転落するしそうで映画のよう。

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ビヒファティマ温泉。山の上から流れる川の激流の麓に温泉がある。
硫黄っぽさはなくて、透明度の比較的高い温泉。
立地も相まって気持ちよい。温泉に入ると考え事が捗る。
そのあとホテルへ戻る。トイレが洋式で綺麗。仮眠を取ってから夜ごはん。炭水化物の嵐でめちゃめちゃ量多かった。美味しい。
ご飯たべてからゴロゴロ。夜寝る前に歯磨くついでに外出て行ったら空一面に満天の星空が広がっていた。奥にあるホテルのネオン光と同調し、星の色が変わっていく。

【7/21】

朝6時に起床。携帯をいじって朝ごはんをたべてから出発。朝ごはんで出されたお粥が塩分効いていて日本のお粥とちょっと似てた。美味しい。

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朝一で城塞へ向かう。思ったより急な坂道で今にも崩れ落ちそう。何回か落ちそうになりながらもなんとか登る。城の間間に穴が空いてあり、外の様子がみられるような設計になっている。日本のお城にも同じような作りがあるし、世界どこでもこういう敵を見渡せるような作りは一緒なんだなと感心する(とはいえこんな山奥に敵が攻め込んでくるのかと思うが)。

そのあとはミネラルが豊富で有名な温泉へ向かう。

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男女交代交代で入浴する施設らしく、着いた時には女性の入浴時間。15分ほど待ってほしいと言われたので、近くにあるらしい炭酸の泉へ向かう。温泉に来てた11歳の小学生がそこまで案内してくれた。田舎だが小学校には100人ほど生徒がいるらしく、英語の授業でスピーキングもするので多少英語が話せるらしい。教育の力って大事やなと痛感。炭酸の泉は鉱物っぽい味がした。男性の番になったので温泉へ。

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壁に雪山と湖の写真が貼られていた。富士山を銭湯に飾るのと似た感じで面白いなと。マルさんいわく、外じゃなくても景色が楽しめるようになんじゃないかと。たしかに。

その後ストゥーパ(インドの仏教の墳墓)を見に行く。

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道が急で、ルートがわからないなと思っていると、近くの小学生が案内してくれる。小学生は崖をひょいひょい登っていく。自分も頭の中では登れるのだが、体が追いつかない。タジキスタンはイスラム教がほとんどにも関わらず、インド仏教のストゥーパがあるのが不思議。そういえばアーリア人はパミール高原を渡ってインドに侵入してきたし、近いものではあるのかなと。

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帰り案内してくれた小学生に10ソモニ請求された。 時現金をあげるのは生々しくて嫌なので、お菓子とか用意しとこうと思う。そのあとは近くの食堂へ昼ごはん。チキンがめちゃめちゃうまかった。

ご飯たべてから今夜の宿へ。16時ごろには着いていたので、ベッドでずっと新書を読んでいた。宇宙に関する本だったが、世界一周を通り越して宇宙へ行きたくなってくる。夜は2人で瓶ビール2本とでかいビール2本空けて飲んでました。冷えてて美味しかった。旅人のコミュニティや数十年前の旅の話をした。
高地のせいか長旅の疲れか、原因がわからないが酔いが回るのが早い。

【7/22】

朝6時に起床。朝飯を食べて温泉へ向かう。わざわざ車を走らせたのにまさかの宿の目の前。大きめの温泉で天然のミネラル温泉でした。お風呂はぬるめ。

そのあとホーログまで進む。昼前には無事到着。ドライバーのおっちゃんに感謝を伝えてから寝室でゴロゴロ。そして昼飯がてらホーログを散歩。

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大きな公園の中に大きな池がありそこで子どもたちが水遊びをしている。小学生時代のプール浴場を思い出す。小さい女の子が英語で話しかけてくれた。英語の勉強しててえらいなと。昼飯はパスタを食べた。ワハン回廊では同じような食事ばかりだったため、新しい味に満足。

帰り道、アパートの洗濯物干してるおばちゃんを眺めてると手を振ってくれた。手を振り返すと家に寄っておいでと言われる。大丈夫かなぁと思いつつも、お邪魔させてもらうことに。

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団地みたいなところの階段を登り家へ。建物が古く少し緊張が走る。

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部屋の中。おばあちゃんとおじいちゃんっぽい人が迎えてくれる。
全く英語を話せないのだが、なんとか会話をしようとしてくれる。どうやら娘がインドで英語を教えているということでなぜか電話してくれることに、娘さんを介しながらご両親と会話するような状態。電話での英語は聞き取りづらくて難しい。ワサビっていうジャンレノが出てる映画が有名だってすごく言ってくれたけどよく分からなかった。また今度調べてみよう。そうこうしてると息子が家に来る。中央アジア大手の携帯会社で働いているらしく、英語が堪能だった。緑茶とスイカとメロンを振舞ってもらう。メロンはナシのようにシャキシャキ感あって美味しい。1.2時間ほど会話をしてからお暇することに。

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真ん中の二人が招待してくれた方。見知らぬ人に親切にしてくれる精神を見習いたい。心が温まった。

宿に戻り、数日ぶりのWifi。携帯を触っていると雨上がり決死隊の宮迫が引退していた。数日間ネットから遮断されている間に色々起こっていて面白い。

夜はピザを食べながらビールを飲む。マルさんが旅での人間関係のトラブルや、現地の人への接し方の話をしてくれてる。国によって人への接し方が変わってしまったり、親切心が本当に親切なのかを見分けるのが難しかったりするという議題で盛り上がる。

【7/23】
長かったパミール高原〜ワハン回廊旅も終わり、首都ドゥシャンベへ出発する。
乗合の車がいるエリアへ来たものの、ほとんど人が来ずに2時間ほど待つ。その後、ほかのドゥシャンベ行きの車へ移動することになり、3時間ほどでようやく出発。
悪路。車は時速40kmぐらいでゆったりと進んでいく。車両の前に3人で詰めて座ったかつ、真ん中だったので足が伸ばせない。足をミッションのレバーの側に乗せて、大汗を書きながら車は進む。移動中ずっと頭を無にして過ごしていた。

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休憩エリア。山から流れてくる水があり、猛暑の中の飲み水は体に染みる。

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途中の道のりで大量のヤギ。(車からの撮影で画像はぶれています)ヤギ使いの人も移動させようとしてはくれるけど、ほとんど機能してなくて大変そう。ヤギの大群を越えたら数分後に第2群にも遭遇して、、みたいなのが数回続いた。
 車のための道路ではなくて、ヤギのための道路のよう。

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悪路続きの中、なんとかドゥシャンベに到着。8時過ぎにロッジを出発して、ゲストハウスへ着いたのが夜中12時30分。ドライバーの人が近くまで乗せて行ってくれてやっと一息つける。
ホテルはWi-fiも繋がるし、なんといってもドミトリーにクーラーついてるのがありがたい。
 スーパーへお酒を買いに行って、サクッと飲んでから就寝。1日疲れた、、

1章①カザフスタン編へ           1章③ウズベキスタン編へ

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