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酒乱の兄との20年

私が生まれた時、兄は21歳だった。
母が20歳の時に兄を産み、その後何度か流産をしたがどうしても女の子が欲しくて、41歳の時にやっと私が生まれたのだと聞いた。
私が物心ついた頃から、兄は酒を飲み暴れていた。
外で飲んで帰ってくることもあったし、家で飲むこともあった。
一番古い記憶だと、私が3歳の頃、夜母と並んで寝ていたら兄が帰宅し、鍵がかかっていることに腹を立てて、家の周りをぐるぐると周りながら大声で開けろ、開けろ、と叫んで壁や窓を叩きまくったことがあった。
酔って暴れる兄に母が腹を立ててわざと鍵をかけていたのだが、私は兄の大きな声が怖く、近所迷惑になることも怖かったので、母に開けてあげてほしいとお願いして開けてもらった。

兄は毎週のように泥酔した。酔って小腹が空いて、鍋を火にかけてそのまま寝てしまって危うく火事になりそうだったこともあったし、訳のわからない事を叫びながら夜通し母と取っ組み合いの乱闘をすることもあった。
そんな時なぜか父は無視を決め込んで自室に篭っていた。
当時我が家は2階建ての一軒家だったのだが、下着姿の兄と母が二階で乱闘していた時、バランスを崩して兄が階段から転がり落ちた。白いブリーフだけを身につけ、泥酔して赤黒い顔をした兄が、わざと奇声を上げながら大袈裟に痛がってみせる姿が、心底気持ち悪いと思った。

私が9歳のある日、家族全員夕食を済ませた後も兄だけいつものようにだらだらと酒を飲み続けていた。私と兄はその時テレビのある和室にいて、どういう経緯か覚えていないのだが、何か兄の気にくわないことを私がしたのだろう。覚えているのは、酔って焦点の合わない目をした兄に組み伏せられ、顔に唾を吐きかけられたことだけだ。

酔っていない時の兄は、普通の人間だった。
気心知れた人達の前ではよくおどけて見せたりする事も好きで、親族からもお酒さえ飲まなければねぇ、と言われていた。
ただ、弱い人間だった。兄が家を出て何年かした後、母から打ち明けられ兄の心の闇を知った。

思春期の頃は、酔って正気を失っている兄が気持ち悪くて仕方なく、血が繋がっているという事実さえ気持ちが悪かった。
でも、大人になってみると兄に対してもう怒りの感情はない。兄の過去を知って、この人も傷ついていたんだなと理解することができた。兄にはどうしても自分をコントロールすることができなかったのだ。
思っている以上に傷を抱えて生きている人は多い。
なぜこんなに傷つき苦しみながら人は生きるのか。その答えはきっと出ないが、その傷に寄り添うことが、人生の意味の一つなのかもしれない。



#鬱 #適応障害 #酒乱 #兄 #トラウマ #人生


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