音楽における楽譜の偉大さよ

先日聴講した作曲講座にて、若い作曲専攻の学生の楽譜を見ながら時代が進んでいることを感じつつも楽譜というものの普遍性とすごさを痛感した
さすがに何百年と音楽を音楽たらしめているツールである

ちなみにここでいう楽譜とは西洋音楽における楽譜を指す

コンピュータを使って音楽はより簡単に誰でも作ることができるようになったし、楽譜のように実音が記録できない媒体よりも、実音として音楽を記録できるし保管もできる
しかし、音楽はもちろん音そのものと向き合う時、楽譜の役割は相当に大きいだろう

何より、楽器奏者にとっては今も楽譜は必要不可欠なものだ

音を聴いて思考するよりも、音を視て思考する方がイメージしやすい
作曲家が表現しようとしている音をどのように表現するかを音符をなぞりながら試行錯誤する演奏家の姿勢は最も演奏している時よりも音に向き合っている瞬間じゃないかと思う

楽譜の大きな特徴はグラフィカルな記号というところも大きい

元々は言葉の上につけられた印によって抑揚を表していたものが、具体的に音を示すものへと変化したわけだが、アジアで見られるような文字を使った記譜法でなかったことが時も国も超えて西洋音楽が世界に広がった理由の一つでもある

楽譜は作曲者の思想や哲学、癖におけるまであらゆる人間性が現れる
文章の文体と全く同じである

結局のところ音楽は音としてなら鳴らない限り音楽としての役割を果たさないわけだが、そのために頭の中に鳴っている自分が思い描く音楽像を徹底的に細かく書き記す
もちろん頭の中にある想像をすべて書き記すことなんて到底無理なわけであるが、それをとことんまで詰め込む
それだけの情報量を保管できるのが楽譜しかない

もちろん、コンピュータを使えばそれを仮想的に再現することが可能という利便性があるので別に批判しているわけでもなんでもない

小説と映画の違いというか
そういう話である

自分の思い描く音像や音響をどのように書き記すべきか
思い悩み試行錯誤しながら記譜することは音楽に向き合う時間がそれだけ密になる、ものすごく繊細な作業なのだ

だからこそ、作曲家の思想や哲学などを感じることができる

コンピュータがなかった時代より、今に至るまで何百年と時を超えて音楽を伝えてくれている楽譜の偉大さよ

今ここにきて改めて楽譜のすごさを感じ今もなお興奮がさめやらない

機械化して大量生産できるのに手作りにこだわっている職人のような尊さがあるように思うのだ
だからこそ、西洋音楽の系譜の末端に位置する伝統芸術としての音楽は芸術音楽として存在するのかもしれない

とはいえ、どんなジャンルにしても音楽は本当に素晴らしい

複雑すぎてよくわからんが、イギリスの現代音楽作曲家・ブライアン・ファーニホウの動画貼っとこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?