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僕らはずっと歌っている

子どもは誰に教わったわけでもないのになぜ歌うのだろう
友達を自宅まで迎えに行った時、なぜに家の前であんなにも大きな声で友達の名前に節をつけて呼びつけたのか
誰に教わったという記憶はない

「○○く〜ん、あ〜そ〜ぼ〜♬」
というやつだが、これって全国共通なんだろうか

あとは友達の名前にメロディをつけるいじりネタとか
CMソングを友達の名前にもじって歌うとかもあったな

あれは年長生がやってるのを見てやりだすものなのか?
わからん、ただただ不思議だ

そういうものはいまだに意外と覚えていたりするのが不思議だ
忘れていても同級生の誰かが必ず覚えていて
久しぶりに会うと歌いだしたりして記憶が蘇ったりする

これもただただ不思議だ
小学校時代から30年近く時間が過ぎているわけで
それにも関わらず覚えている
すごいことだと思う

卒業式で歌った歌は忘れたのに
覚えている人もいるだろうが

多くの場合、僕は早くて幼稚園、遅くても小学生時代には何かしらの才能というのは開花し始めているのではないだろうか

気づかないだけで、その人の特性みたいなものはあるはず
「お前、昔からそういうやつだったよね」的友人の発言こそ
まさにその通りなのではないか

仕事にできるとかそんなことはさておき
そんな自分に早く気づいてやることが大事なことのような気がする

まぁ気づかなくてもいいんだけど
時には気づかない方が幸せな時もある

話が脱線した
子どもは教えてなくても歌い出すが
そもそも僕らは生まれながらに歌っていたのではないか?

最近の僕の疑問の一つである
「音楽と言葉はどちらが先か議論」についてずっと考えている

言葉を話せるようになる前、僕らはお母さんに泣くことで「おなかすいた」とか「おしっこでた」とか訴えてたわけだ
発音できるようになったあとは、言葉こそ話せなくても何かを声によって「あー」とか「うー」で訴えてた
これは総じて歌っているということではないのか

だから、必然的に言葉に節を勝手につけてしまうのだ
誰に教えられていなくても歌ってしまうのだ

言葉だけで伝えることができるなら抑揚とかっていらなくね?
ずっと棒読みでいいはずさ

でも、僕らは抑揚をつけるし、感情によって音量まで調整してしまう
言葉以上の感情をなんとか伝えようとずっと努力している

これはすごく大事なことのような気がするぞ
いや、すごく大事なことだ

僕らは、そもそも歌う生き物なのだ
歌うか歌わないかではなく
ずっと歌っているのかもしれない

どうでもいいけど、僕の中で不朽のCM曲といえばこれだよなぁ

ちなみに、挿絵がなんでアルフィーなんかは知らん

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