CD屋にCDを買いに行く
音楽には形式というものがある
例えばクラシック音楽におけるソナタ形式
音楽形式の完成形とされるそれは、もちろん非の打ち所がない
ソナタ形式だけではなくあらゆる形式がある
ポピュラー音楽にもAメロBメロサビといったような形式
音楽だけではない、作法やマナーなど
社会というものはそういった決まりごとによって成り立っている
とっても必要なことだし、なくてはならない
しかし、それに囚われるのはいかがなものかと思う
そういった決まりごとというのは、長い歴史の中で育まれてきたもので
結果としてそういう形におさまっただけに過ぎない
つまり、そこに至るまでにはたくさんの人の「心」があったに違いない
と僕は思うのだ
こうした方が相手が気持ち良いのではないか
音楽で言えば、こういう風に展開していった方が聴いている人が心地よいのではないか
そういった思いやりの結果、少しずつ作られてきたはずである
もちろん、権威やヒエラルキーの区別などもあったであろう
だとしても、多くの決まりごとというのは人と人が良い関係を築くために作られてきたはずである
しかし、その決まりごとに囚われすぎて「誰のためなのか」「なんのためなのか」ということが置き去りにされていることが多いように思う
決まりごとに従うこと自体は悪いことではない
それは歴史の中で育まれてきたものなのだから
しかし、それに従ってさえすれば良いというのは思考が停止しているようにも思う
音楽でいえば、「とりあえず形式に当てはめる」ような作業はいかがなものなのかということである
自分の音楽をいかに人に伝えるか
そのためにはこの形式がいいかもね
とか、形式から逸脱してみようとか
と、そういった気持ちでいたいと僕は思っている
それが良いかどうかはわからない
しかし、なんだか世の中を見ていると
あまりにも「心」がないように思うのだ
こうしておけば良い
という風に感じる
いや、僕が卑屈なのかもしれない
それは若干自認するが、、(笑)
とにもかくにも
そう思うのである
毎日毎日
クダをまく
立派なおじさんになったものである
ところで、今日は好きなミュージシャンのアルバム発売日
CD屋にCDを買いに行く
ダウンロードできるけれどもCD屋に買いにいく
うちにはもうCDプレーヤーなんてないのだけれどCD屋に買いに行く
(パソコンからのスマホという面倒な作業をするのだけれど)
「8センチCDなんて今時の子は知らないんだろうなぁ」
なんておじさんくさいマウントは取らないけれどCD屋にCDを買いに行く
ま、そんなことがあってもいいではないですか
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