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退廃化する耳

先日、アマオケの生音を聴いてから違和感が取れない
なんとなくその理由がわかってきた

僕は音楽を作る時、気にしないことがいくつかある
気にしないというのは「音楽家として、そこは気にしとけよ」
と、言われるべきところを気にしないのである

僕なりの言い分があんだけど
その一つに、「音のクリア」さがある
音楽をパッケージする際、録音したあとにミックスという音を処理する作業
バランスを整えたり音をクリアにしたり
ある程度は必要だと思うし、僕もある程度はする

幸か不幸か、僕はこの作業を独学でやってきた
二つ目の大学と大学院では電子音響音楽が専門だったのでそれなりに立派な設備を使わせてもらってたわけだけど、先生や先輩、後輩が「これは、こういう風にやるのが一般的ですよ」という言葉に、ひたすら違和感と疑問しかなかった

「自分の耳を信じたい」

カッコをつけて言えば、こういうことだ
テクニックや機材やソフトでもって、セオリー通りにやるのも確かにいい
音は洗練されてきれいだし聞こえも良い
でも、それはある意味では創造性に欠ける
そう思って、周りは気にせず自分がやりたいようにやってきたし、今もそう
だから、周りとあまり話が合わなかったりする(笑)

だって、スマホのボイレコで録った音とか普通に使うもんね
それはそれで味があるし
「この録音なんなんすか?」(悪い意味で)
って言われることもあるけどさ(笑)

でも、それでよくない?

僕の音楽なんだから

もちろん、自分の音楽がさらによくなるためのものだったらば吸収するし使う
独学でやりすぎて遠回りすることも少なくはない

でも、ミックス外注したらしたで、たいがい

「あぁ、そういうことね。そうなりますよね」

って仕上がりで返ってくるんだもん
お金払ったのに納得できないことが多い
あ、愚痴ってしまった

相変わらず、随分とくどい話をしているが
「クリアな音」というのは、ノイズを排除していく作業になる
ノイズはその都度変わるが、その時々に不要となる音のこと
イコライザーというもので周波数の高い音域を削るとか低い音域を削るとか、そういった作業
しかし、それでは潔癖すぎるのだよ

先日のオーケストラで感じたことは
「生音は、そんなにクリアではない」
ということだ

SNSのタイムラインには様々な情報が走る

このソフトが安い!
これを使えばプロと同じ音になる!

正直、気持ち悪さしかない
これは音楽以外にも言えると思う

古いレコードやテープの音源を聴いた時にノイズが乗ってたり音質が悪かったり明らかに今のようにクリアな音ではない
でも、音楽や演奏そのものに耳を傾けて感動するじゃないか

「うーん、録音がちょっと、、」なんて言わないだろ?
なんなら、ありがたがって聴いたりするだろ?

耳の良さってのも色々ある

絶対音感から始まり、よく聞こえる、聞き分ける能力があるなどなど、それぞれの専門家に専門的な耳が存在する
でも、それはどんな分野でもそうだし、それが良い音楽を作れることとイコールではない
音作りにはある程度のノイズが必要
ノイズがあることで、リアリティをもたせてくれる
必要なくても良いものももちろんあるがある程度は必要なんだ
画一化された音で支配された商業音楽で耳が慣らされてはいけない
ある意味で、洗脳なのだよ
絶対的なものではなく

「この音楽はこういう音がいいと思ったのね」

という人でいたい
もちろん、一流のプロエンジニアの方々はわかっておられるけど

ただ、この歳にもなると周りが脱落して続けている人間が減ってきたので一つ言えることは

結果的に僕は正しいと言い張れる(笑)

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