【短編(ドラマ)】ベイビー・ドント・クライ
史緒里は弟の亜蘭を抱いたまま、墓の前で手を合わせる。
今日は母方の実家に来ている。史緒里の父がお盆の期間に仕事を休めなくなったため、前倒しで墓参りしているのだ。
母の芳子が、史緒里の肩に手を置いた。
「よし、お墓も掃除したし、お婆ちゃん家に行きましょうかね」
「うん」
寺の駐車場へ戻って、史緒里はチャイルドシートに2歳の亜蘭を乗せる。後部座席が彼と史緒里の定位置だ。
父は全員が車に乗ったことを確認し、無言で発進させた。
高架下のトンネルを抜け、細い道をくねくね曲がると、史緒里の祖母ヤス子の住む家が見えてきた。古い大きな木造家屋で、ヤス子ひとりで住むには広すぎる。庭にある小さな池では数匹の鯉が泳いでいる。
玄関前のスペースに車を停める。
引き戸を開けて、芳子が元気な声を出す。
「お母さーん、ただいまー!」
しばらくして、少し腰の曲がったヤス子が台所から出て来た。
「よーいりゃあたな。お上がり、お上がり」
芳子に続いて、亜蘭を抱いた史緒里も靴を脱ぎ玄関の土間を上がる。父は外で煙草を吸っていた。長い距離のドライブが終わってひと休憩だ。
ヤス子はまた台所へ向かう。芳子もつられて台所に入った。
「へぇ、蒸し饅頭。私たちが来るから作ったの?」
「ほーやけど、いっつも作っとるよ。今日はいっぺんによーけ蒸したわ」
亜蘭がグズり始める。見慣れない場所で、古めかしい木や畳の匂いに気が立っているのだろう。史緒里が抱っこしてあやすが、泣き止む気配がない。
「史緒里。私が外に連れてくから、お婆ちゃんを手伝って」
「あ、うん。分かった」
史緒里が台所に入ると、ヤス子は昼ご飯の準備をしていた。
「史緒里ちゃん、足りんもん買うて来るで、ついてりゃあせ」
「はい。……このトートバッグ持っていけばいい?」
「よー気ぃつくなぁ。さ、おいで」
そう言ってヤス子は裏口の戸を開けて道路へ出た。史緒里は土間で靴を履き、玄関から裏へ回って追いついた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
買い物を終え、史緒里とヤス子は川沿いを横並びで歩いていた。
「こないだここで祭りがあったわ。花火がようけ上がっとった」
「ああ、ここって毎年大きなお祭りがあるんだっけ」
ヤス子が遊歩道のベンチに座り、曲がった腰をトントンと叩く。史緒里も横に座って幅の広い川を眺める。夏の強い陽射しを反射して、川面がギラギラと輝く。カラスとも違う、名前の分からない大きな黒い鳥が川辺から飛び立って行った。
「史緒里ちゃんがちっちゃい頃にな、みんなで祭りを見たわ。お爺とよっちゃん、旦那さんと史緒里ちゃん。覚えてりゃーすか」
「うーん……思い出せないなぁ。物心つく前だったんだろうね」
「そのあとすぐお爺がのうなって、祭りはそれっきりやね。ほら、これ」
ヤス子がポーチから花柄の髪留めを取り出した。
「そん時、お爺が買うてくれて。最後の贈りもんだわ」
「へぇ、お爺ちゃん、優しかったんだね」
ヤス子は顔を皺くちゃにして笑みを浮かべ、大事そうに髪留めをしまった。
「史緒里ちゃんは好きな人、おりゃあす?」
「好きな人……。いるにはいるけど、多分お婆ちゃんの言う好きとは違うかも」
「なんでぇ。好きは好きやら」
史緒里は頬をポリポリ掻きながら、照れくさそうに答える。
「あ、あのね、ボクの好きな人、女の子なんだ」
「ほぉ、どえらいことやねぇ。テレビでそんなん観たことあるわ」
「だけどその……、あ、愛とかじゃなくて、こう……大好きな感じ?」
ほぉかね、とまたニッコリ笑って、ヤス子は川を眺める。
「お婆は史緒里ちゃんくらいの歳に見合いで嫁いだでねぇ。好きとかよう分からんかったわ。ほんでなかなか子供ができんくてお義母さんにいびられて」
史緒里はヤス子の言葉に耳を傾ける。静かな川辺、ヤス子は穏やかな表情で話す。
「そいでも、お爺が優しかったもんでここにおれたんやろうねぇ。史緒里ちゃんと亜蘭ちゃんの可愛い顔見ると、あー、頑張ってよかったー、って。ほんに嬉しいんだわ」
「……今は、お爺ちゃんのこと、好き?」
「そうね、お爺もお婆も、いっぺんも好きって言わなんだけど。好きやったんろうねぇ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日はヤス子の家に泊まるということで、夕食後のお風呂上がり。麦茶を飲む史緒里に芳子が囁く。
「なんか色々話したんだって? お母さん、すごく楽しそうだったけど」
「お婆ちゃんの昔話だよ。とボクの、……なんでもない」
「何よ。私も混ぜなさいよ」
「嫌だ。センシティブなことなんだから」
ええー、と悪戯っぽく笑う芳子を放っておいて、史緒里は亜蘭のオムツを取り替えた。ウトウトしているのでお風呂には入れず、歯磨きジェルを塗って布団に寝かせる。
「そういうところは、女の子なんだよね。良い奥さんになれそう」
「ほっとくと誰かさんが手を抜くから。それに、亜蘭の身の回りの世話はボクの仕事なんだ」
父は風呂上がりにまた外で煙草を吸っていた。
床の間に布団を敷いて、夜22時。皆が寝静まった頃、史緒里は縁側で星を眺めていた。
「お茶、飲みゃあせ」
ヤス子が湯呑みの乗ったお盆を縁側に置いた。
「ありがとう。お婆ちゃんは寝ないの?」
「人がいるとそわそわしてかんね。明日みんなが帰らさったら、よーけ寝るでええわ」
「そっか……」
庭の鹿威しがコンと鳴る。ヤス子が史緒里の隣によっこいしょと座る。
「史緒里ちゃん。ちゃんと言わなかんよ。お婆は好きって言えんかったこと、後悔しとるで」
「……うん。言うよ。この間は上手く伝えられなかったから。ちゃんと目を見て、心を込めて言う」
ヤス子は微笑みながら、うん、うんと頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
荷物をトランクへ積み込み、父は運転席に座った。芳子がドアガラスを開け、ヤス子に声をかける。
「じゃあ、またね。正月に来るから」
「気ぃ付けてな。待っとるで」
微笑みながら手を振る史緒里に気付いたヤス子は、顔を皺くちゃにして満面の笑みで手を振り返す。
芳子がいいよ、と言うと父は「ん」と呟き、ヤス子に一礼して車を発進させた。
史緒里は手を振りながらリアガラス越しにヤス子を見る。どんどん姿が小さくなっていくヤス子は、笑顔のままいつまでも手を振り続けていた。
「おねぇ、め」
亜蘭が史緒里に声をかける。
指摘されて史緒里は、自分の目から涙がポロポロと零れていることに気付いた。
「あれ? ハハ……なんで泣いてるんだろうね」
「どうしたのぉ史緒里。里心ついちゃった?」
「違うよ。……多分」
亜蘭が史緒里の頬をその小さな手で拭おうとする。
史緒里は驚いて、泣き笑いしながら亜蘭の手を優しく握る。
「ありがと。亜蘭は優しいね。大きくなったらきっとモテモテだよ」
そう言って、史緒里は亜蘭の頭をそっと撫でた。
〈ベイビー・ドント・クライ from ぷろせす!:終〉
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