NHK朝ドラ「虎に翼」OP曲歌詞『空に唾を吐く』に想う~サウンドの魔術師「米津玄師」の策略とは?

現在放送中のNHK朝ドラ「虎に翼」を、諸事情あって後半からなんですけれど、楽しく拝見しています。

そこで、一緒に観ている(ほぼ)後期高齢者の両親が、米津玄師さんの歌う、ドラマのオープニング曲

「さよーならまたいつか!」

を聴きながら、常々、

「朝っぱらから『空に唾を吐く』なんて汚い言葉聞かすなよプンプン」

とご立腹しているのを目にしていて、

「米津玄師、流石だなあ!思惑通りいってますヨ!」

と思わず感心しています!

●オープニング映像・曲(ノンクレジット)
https://youtu.be/OGpfHEUpv6o?si=450XTZTVbbZF3qYf

●公式MV


なぜ私がそのように思うのか、

①朝ドラにおけるOP曲の位置付け

②米津玄師さんの楽曲の特徴

そして結論

『空に唾を吐く』の言葉の効果

といった面で考えたいと思います。

まず①、

朝ドラにおけるOP曲には、ただ単にそのドラマの内容を象徴したり気分的に盛り上げる、といった点以外に、きちんと機能的な存在意義があります。それは、

「みなさん!ドラマの開始時間ですよ!曲を流している今のうちに観る準備を整えてくださいネ!」

という、視聴者に対する、視聴体制を整える猶予時間を毎回提供する役目です。

歴史ある朝ドラは、一部の国民にとってはただ単なる「季節ドラマ」の枠を超えて、実生活における「(視聴)習慣」の一部になっています。つまり、朝顔を洗うとか歯磨きするとかとほぼ同様なのです。

そういった「習慣」を逃さぬよう、というかNHK側の思惑としても逃せぬ「習慣」にしてもらって視聴率を取りたいので、OP曲にはそういった機能を持たせています。

その証左ではないですが(というか上記の機能はNHK側の正式見解なので別に証明する必要はないのですが…)、一週間のうち土日の放送が無いため、「習慣」が崩れがちな月曜日だけは、OP曲の流れる時間が少しだけ長いのです。つまり、他の曜日よりも視聴体制に入るための猶予時間を長く設定しているのです。

それを受けて②、

まず、米津玄師さんは、「音響」という「音楽」を超えたさらに高度なサウンドメイキングにおいて、巧みで効果的な仕掛けを施す、いわば「サウンドの魔術師」です。

手法は多岐にわたるので、2つだけ事例を挙げると、

大ヒット曲「LEMON」には、本来の音楽の流れとは関係のない摩訶不思議な「効果音」が所々に挿入されています。そのことによって、リスナーは、LEMONという曲をBGMのように「聴き流す」ことが出来ないのです。

こう書くと「効果音」というよりも「雑音」なのでは?と思われるかもしれません。

まさにその通りで、

「普通はそうなります」

でも

「実際にはそうなっていません」

なので、米津玄師さんは紛れもなく

「サウンドの魔術師」

と言える、他の追随を許さぬ、というか他のミュージシャンと次元の異なる、類い希なる大天才なのです。

長くなってしまいましたが、次の事例を手短に。

米津玄師さんは、歌詞に「オノマトペ」つまり「擬音語」を多用する傾向があります。ご存知のとおり、擬音語それ自体には何の意味もありません。そういった点においては、音楽の中で使われた際には、あくまでも、

「サウンド」

として機能します。

対して、言葉というのは、「意味を持つ」という点において何かを表現するにあたり莫大な力を発揮します。しかし、諸刃の刃とも言えるかもしれませんが、その使いたい言葉を歌うには(多分に工夫の余地はあるにしても)、必ずサウンド的制限を受けることになります。これは、「音楽」という表現においては、ある意味ではマイナスです。

そういった面でいうと、擬音語は、「音楽」という表現においては、ある意味ではプラスです。

ここで重要になるのは、

「どれほどプラスを大きく出来るか?」

と言った点です。

この点に対する米津玄師さんの回答は、

旧ジャニーズのグループ「嵐」の、米津玄師さん提供曲、

「カイト」

を聴いて欲しいと思います。
https://youtu.be/mTMs1S5td74?si=rRu9Yp0iAqe0k7eg

この曲は(私個人としてはとてつもなく)良い曲だと思うのですが、その理由には、明示的ではありませんが、間違いなく、上記の米津玄師さんのサウンドマジックが効いています。

はてさて、

やっと結論なのですが、

①と②を踏まえると

『空に唾を吐く』

という「汚い」言葉を、

●なぜ使う必要があったのか?

という理由が見えてきます。

そうです、

「これからドラマ始まりますよ!」

という事を、決して無視出来ない

「サウンド」

としての効果を狙ったわけです。

つまり、(反論はいくらでもあると思いますがあえて…)

「この歌詞には特別な意味など無い」

つまり

「言葉ではなく、あくまでも、サウンド」

と捉えるのが妥当と私は考えます。

歌い方も非常にクセが強いのも印象的です(芸人さんの狩野英孝さんなんじゃないかと思うくらい笑)。

私は音楽に対して、歌詞というものを、特別視はしておらず、あくまでも音楽を構成する要素の一つに過ぎない、と考えている(曲をつくったアーティスト本人がどう思っているかはどうあれ)ので、この曲に関しても特別に歌詞に興味はないのですが、たまたま母と歌詞の内容について会話したので、私の私見的な内容を少し書くと、

このドラマは「法律」を題材にしています。

最初から観ていないので、一貫して主張しているかは知らないのですが、このドラマの中において、特に「法律」というものに対して、

「一人の短い人生でどうこう出来るようなモノではない」

という描写が散見します。

しかし一方で、

「先人もしくは自分の残した爪跡は、今何かを変える事が出来なくとも、「記録」として(裁判の判決であればその証跡(賛成反対の人数の内訳や各人の意見))後生に残る」

そしてその証跡は、

「100年後の判決にも影響を与える得る」

ということ、というかその事実を(主にナレーションベースですが)ドラマの中で幾度と伝えています。

「さよーならまたいつか!」

とはつまり、そういった、

「ひとりの人間が、いくら今この瞬間を力強く生きても、変わらないモノは変わらない」

でも

「自分が「さよーなら」した」

あと

「(自分の証跡は)またいつかどこかで誰かと巡り会うかもしれない」

その結果として

「自分が生きている間に変わらなかった・変えられなかったモノを、時を超えて、変え得る」

だから帰納法的ですが

「ヤッパリ今やるしかないじゃん?後々のことは知らんけど」

というメッセージが込められているように、私には思えます。

つらつらと書かせていただきましたが、何れにせよ、

「意味」という点では

『空に唾を吐く』

必要は、ないよなあ笑

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投稿頻度は不定期ですが、割と昔の話(エピソードや考察内容が確定している)も書いているので、過去のストックを読み漁るだけでも楽しいと思います🎵

他人に話して、 「こいつ音楽に詳しいな!」、「音楽知識だけでなくそこからこんな考察するなんて…コイツ、デキる!」 なんて思われたくないです…

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