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繊細な手仕事

 見晴らしのいいベランダに不揃いのプランターを並べて、野菜を育て始めて1年。小松菜、ほうれん草、春菊、葉大根に雲南百薬(おかわかめ)…と、簡単そうな葉物野菜ばかりを育ててみました。素人が農薬も使わずにただタネをまいて水をあげているだけなので、虫に食べられるのが3分の1、収穫のタイミングを逃して種をつけ枯れていくのが3分の1、そして私の口に入るのが3分の1という有様でしたが、それでも十分に満足して楽しんだ1年でした。若々しく柔らかい採れたて野菜を、さほど美味しくもないの塾の生徒さんたちと授業の合間のおやつにムシャムシャと頬張ったりしたのも忘れられない思い出です。
 やってみて驚いたのは何と言っても、5階でもしっかり虫が来るんだなぁということ笑。虫といってもその姿をはっきり捉えることができるケースは少なくて、その正体がなんなのかよくわからないことがほとんどです。彼らはまったく賢いもので、昼間は土の中に隠れているのに、夜になると這い出して食事を堪能しているんだそう。それも、食べ頃をよくよく知っていて、私が「そろそろ美味しそうだな、明日の朝ごはんに収穫しようかな」なんて思っていると、その間にあっさり先を越されてしまいます。穴だらけになった虫たちの食べ残しをしてやられたと苦笑いして頂きながら、とはいえ虫たちをさほど憎くも思えずむしろ愛おしく思えてしまうのも家庭菜園の楽しいところでした。独創的な切り絵作品に仕上がった葉っぱの数々や何物かが這い回って描かれた筋模様などは、自分の眠っている間にプランターの中で起きた出来事の秘密をそっと教えてくれるようで、私もその唯一無二の造形美をしみじみと味わいながら、彼らの静寂を乱さないようにと息をひそめて、食べる分だけの葉っぱをしずしず頂戴したものです。
 
レイチェル・カーソンは、遺作『センス・オブ・ワンダー』の中にこう遺しました。

「自然の一番繊細な手仕事は、小さなものの中に見られます。(中略)また、いろいろな木の芽や花の蕾、咲きこぼれる花、それから小さな小さな生きものたちを虫めがねで拡大すると、思いがけない美しさや複雑なつくりを発見できます。それを見ていると、いつしかわたしたちは、人間サイズの尺度の枠から解き放たれていくのです。」

 ベランダにしゃがみ込んで地面に視線を寄せ土をいじっていると、どんどん「便利」になる世の中だけど、たまには上ばかり向くのをやめてもいいのではと思えてくるものです。人の底尽きない経済欲、成功欲が自然の棲み分けを壊して、精妙な自然の営みを見えなくしてしまっていることを、綺麗ごとではなくて本当に内省する時間が生まれます。神様が造られたこの命を前に、一瞬で何かが変わるかのような裏技的なものは何もいらないと。毎日のコツコツした小さな継続の中に尊い調和と営みがあるのだと。SDGsが叫ばれて、環境問題を机の上で学ぶ機会が増えているのもいいこととは思うけれど、環境問題だって国際競争やら経済戦略やらに持ち込まれてどんどんその本質や真相が見えにくくなる今日この頃です。もっと身近に自然を肌に感じられる野山で、ありきたりと思える虫や草をとことん観察し共生する時間がもっと持てたらいいのになぁとぽそっと思ったり。来年の夏ごろは生徒さんたちと一緒に大きな自然の中でキャンプでもできたらいいなと密かに夢見ています。

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