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一人の若者が承認欲求の化け物になったのちに精神的にどん底まで落ちた話

お久しぶりです、だんごむしです。

昨年の7月くらいからTwitter等で力強い発信をしていて、周りから「強い人」に見えていた、であろう人です。ただ、昨年の冬くらいからずっと精神的にキツイ状態だったため、諸々のSNSの更新を止めてました。やっと最近、どん底の状態から抜け出せたので、また自分が同じ状況に陥らないように「何故こうなってしまったのか」について、自戒を込めて文章にまとめます。ですので、しくじり先生的な感じで読んでもらえると幸いです。(2回に分けて書きます。これは前半です)

そもそも何故強い人になったのか

一言でいうと、「承認欲求の満たし方を間違えた」というのが一番の原因だったように思います。

「インターン経験もない自分が仕事についていけるだろうか…」と凄く不安がっていたが、意外と自分でもそれなりにやっていけることがわかった、新卒1年目の去年の7月。仕事の中である程度の自信がついてきた、そんなタイミングで、学生時代から続けていた母校の高校でのキャリア教育の活動にて、一緒にやっていたメンバーと大喧嘩をしました。お互いの意見がまとまらず、結局自分一人で活動を続けることになったのですが、その辺りからストレスが爆発し「何故自分はこんなに苦労しているのに、周りは感謝・評価してくれないんだ」と思うようになりました。

「多くの意識高い大学生は、崇高な理由を掲げて色んな活動を学生時代に行っているけど、大体の人は社会人になった瞬間にその活動を辞めている。『○○を変えたい』って言ってたのに、そんなもんなの?」みたいに、勝手に比較対象を作っては、「東京で新卒1年目で働きながらも地元に対して活動を続けている自分」を自分で勝手に凄いと言い聞かせていました。


そんな独りよがりな自己評価は、自分の視野を狭くし、いつの間にか、自分に自信満々な強い自分を生み出しました。

強い自分は自分に自信があるので、誰に対しても対等な立場だと思い、自分の意見を強く言い切っていました。自信があることでコンディションがよかったからか、アイデアもどんどん浮かんでくるし、考える力もめちゃくちゃありました。ショートスリーパーでも過ごせました。そんな自分を客観的に見ては、「やっぱり俺って凄いよなー」と更に自己評価を高くしていました。その流れでTwitterもはじめ、フォロワーを着々と増やすことで、「俺は間違ってなかったんだ」とより自分を過信するようにもなりました。

当時の自分はDNA的に自分自身の承認欲求が強いことは理解していましたが、「承認欲求を満たすことで結果的に社会に貢献できるならばそれでよい」という考えもあったので、自分の承認欲求を特に自分で否定・制限しようとは思わず、むしろ肯定的に捉えていました。

ただ、上記の通り、いつからか「社会に貢献する」ことよりも、「承認欲求を満たすための行動」を多くするようになっていました。(例:Twitterの過度な発言、メディアに掲載されるように自分からアプローチ等)Twitterでは「フォロワー数は気にしない」と表面上では言いながら、実はめちゃくちゃ気にしていました。


強い自分は何故いなくなったのか

強い自分は基本的に納得しない限り意見を曲げないため、その頃から職場でぶつかることが増えるようになりました。意見をぶつけ合うたびに「何で自分のことを理解してくれないんだ」とストレスをためては、そのストレスを発散するようにTwitterで承認欲求を満たしていました。Twitterやキャリア教育のボランティアの活動が楽しいと思えば思うほど、「何故ここまで苦しんで仕事をやらないといけないのか」という思いがどんどん強くなり、仕事に対する態度はより一層悪化し、それが原因で更に職場でぶつかることも増えていきました。

そんな時に事件が起きます。

9月末のある日、職場での意見のぶつけ合いの中で相手を強く傷つけてしまい、結果として会社に来られなくなるような状態にまで追い込んでしまう事が起こりました。


「あれ、俺って本当にこのままでいいのか…??」


人を深く傷つけてしまったことが、自分の中でとてつもなくショックで、その時初めて自分自身のあり方を疑うことが出来ました。すぐにその方には誠心誠意お詫びし関係性を改善し、10月からは完全に気持ちを入れ替えて業務に取り組みました。仕事に対して前向きに向き合い、周りからの意見もほぼすべて素直に聞くようになりました。そして、職場では少しずつ見直されるようになり、「だんちゃん(職場でのあだ名)、良くなったよ」と周りから言われるようになりました。

ただ、そんなことを言われる度に表面上は嬉しそうにしながらも、心の中ではずっとモヤモヤしていました。


「あれ、強い自分は社会に必要されてなかったのか・・・?」


自分は、強い自分が凄く好きだったからこそ、強い自分を職場でも承認してほしいし、強い自分を必要としてほしかった。なんなら、就活の面接でこの会社に見せていたのは強い自分だから、強い自分こそがこの会社に求められていると思っていた。ただ、今必要とされているのは、周りに合わせているだけの自分らしさ0の自分…そんな自分らしさ0の自分を演じている中で、だんだん前の強い自分が一体なんだったのか、わからなくなっていきました。

精神的などん底へ

更に悪い出来事は起こります。

12月末、しばらくはお互い忙しくて話せていなかったけど、とても仲の良かった同期と久しぶりに深く会話する機会がありました。

その同期と最後に深く会話したのは、ちょうど強い自分が一番出ていた時。当時、その同期は心の中にある種のトラウマを抱えていたのですが、強い自分はよかれと思い、そのトラウマを力ずくで聞き出し、無理やりに解消しようとしました。そして、強い自分はそれを結果的に「善き行いをした」とずっと思っていました。

しかし、久しぶりに会話した同期は、強い自分によって実は深く深く傷ついていたことを打ち明けてくれました。それは、トラウマを無理に引き出したばかりに、よりトラウマを強くしてしまったというもの。


「え、強い自分ってこんなに人を傷つけてしまうの…」


職場の方を傷つけたことももちろん、ものすごく仲の良い同期ですら知らず知らずのうちに深く傷つけてしまう強い自分を、その時心底嫌いました。そして、「強い自分っていったいなんだったんだろう…」という問いに対して、「強い自分は人を傷つけるダメな存在だ…」という自己否定な答えを出してしまい、どんどん精神的に元気がなくなっていきました。そうなってくると面白いもので、考える力がだんだん弱くなり、アイデアも浮かばなくなり、睡眠も6時間以上必要になっていました。

今の自分への違和感を感じはじめた時に、過去に友人に「双極性障害」なのではないか、と言われたことを思いだし、初めてちゃんと調べてみることにしました。

双極II型障害の軽躁状態は、躁状態のように周囲に迷惑をかけることはありません。いつもとは人が変わったように元気で、短時間の睡眠でも平気で動き回り、明らかに「ハイだな」というふうに見えます。いつもに比べて人間関係に積極的になりますが、少し行き過ぎという感じを受ける場合もあります。
躁状態と軽躁状態に共通していえることは、多くの場合、本人は自分の変化を自覚できないということです。大きなトラブルを起こしていながら、患者さん自身はほとんど困っておらず、気分爽快でいつもより調子がよいと感じており、周囲の困惑に気づくことができません。

Ⅱ型の特徴を見て、「あれ、これ完全に俺やん…」と強く思いました。


「強い自分はずっと自分のアイデンティティだと思っていたけど、そんなことはなくてただ病気による仮の姿だったんだ…じゃあ、ずっと強い自分の思考力や行動力を自分の良さだと思っていたけど、いったい本当は何が自分の強みなんだろう…なんなら、強い自分がやりたいことに従って生きてきたけど、本当の自分がやりたいことっていったい何なんだろう…強い自分が自分でないとしたら、いったい自分は何なんだろう…」


これまでの強い自分を支えていった根っこの部分が完全に崩壊していました。

その頃から少しずつ人と会わなくなるようになりました。
こんな自分をどう説明したらいいかわからなかったから。
Twitterはもちろん、新聞や高校の同窓会誌等、あらゆる場所でそんな強い自分を見せていたからこそ、「あの強い自分って本当は偽りの姿だったんだ」とあらゆる人から思われることが凄く怖かったから。


「自分には生きる価値はない、虚構な自分を周りに見せ続けいてただけの人、なんと恥ずかしい人なんだろう…」


生きる希望は特にないけど、死ぬ勇気もない。ただただ、時間を浪費するだけの日々が続きました。

完全に精神的にどん底に落ちました。


(続きはこちらです。↓)

https://note.com/okudangomushi/n/nbc88ff0c7736






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