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2022年の総括を

こんばんは。
早いもので2022年ももうすぐ終わりですね。
みなさんはどんな年でしたでしょうか?

というわけで、2022年を振り返ってみようと思います!

1月~3月
(すでに記憶が薄れているので3ヵ月まとめて)

記憶が薄れてはいますが、Googleカレンダーにて再確認してみると、新年早々旅行に行ったり、オーストラリアに移住した親友と再会したり、翻訳仲間とオンラインで語り合ったり、コロナ禍でもそれなりに楽しく過ごしていました。
大きな出来事といえば、5年勤めた前職があまりに暇になりすぎて、そのくせ出社マストだし、ものすご~く苦痛すぎたので退職しました。今年は映像翻訳の仕事にもっと力を入れよう!と決意していたので、在宅勤務が多い会社を選びました。

4月

次の入社日まで1ヵ月あったので、翻訳の仕事をキツめのスケジュールで入れてみたり海外ドラマをじっくり見たりして過ごしました。初めて吹替翻訳の仕事ができたのもこの時でした。「フリンジ」をすべて観終えました!

5月

実は私には小さ~な持病があり(命にはまったく関わらない)、PMSと月経痛もひどく、それらが新しい会社が始まったストレスと相まって、5月は正直かなり体調が悪かったです。
アメリカに住む親友と会えたことで少し元気復活。

6月

新しい会社があまりにも大ハズレであったことに気づき、テンションダダ下がり。残業なしの在宅勤務だから、映像翻訳の仕事がしやすくなったのだけが唯一かつ最大の利点。というか「私はもう映像翻訳以外の仕事は楽しいと思えないのでは…」ということに気がつけたのでよかったとも言えます。

7月

埋没親知らずを抜きました。38年間生きてきて、おそらく一番痛い経験でした…。翻訳仲間(同期)とランチをする機会があって、いろいろ話せてうれしかった~!

8月

埋没親知らず抜歯、最後の1本。今回は痛くなくて一安心でした。
翻訳をしたり、花火を見たり、ワクチン打ったり、ご飯食べに行ったり、熱中症にならないように気を配ったりと、まあそれなりに楽しく(?)過ごしていたようです。

9月

初めてシリーズ全話すべてのチェッカーを担当しました。チェッカーは楽しいし、体はすこしラクだし、とても勉強になるし、ちょくちょくやりたい仕事です。でも途中で「やっぱり自分でも早く字幕作りたい!」となってくる不思議。
このあたりから、いつ今の会社辞めよっかな~とか考えていました。
本当に社会、いや、組織不適合者だなと自分でも思います…。

10月

東京旅行に行って、友達や翻訳仲間と会ってリフレッシュしてきました。
最高です。やっぱり旅行はいいですね!

11月

今の会社に勤めて約半年、ようやく念願の有給休暇が発生!
さっそく2日分を使って、ごりごりのドキュメンタリーを翻訳。
あとは家族とフレンチを食べに行ったり、マイナンバーカードの申請をしたりと、超地味で平穏な日々でした。
会社だけがきつい。ほんと会社さえなければ…。
でも会社がないと食べていけない…。このジレンマから早く脱しなければ。

12月

今の会社を2月末で辞めることに決めました。
というか、そろそろ次の動きを考える時期に来ているのでちょうどよかったです。というか、今の会社なんて入らず、今年4月の時点でさっさと留学しててもよかったです…。本当に私ってバカ。
でも、円安とかコロナとかいろいろあったし…(言い訳)

年を取るにつれて行動力がなくなって、安定志向になり、リスクを取らなくなりますね。ある程度は貯金も必要だし仕方ないと思いつつ、私は若いころからYOLO精神だけが取り柄だったのに…。

簡単に会社辞めるなよと言われそうですが、実は今の会社は、初めての派遣社員としての勤務でした。派遣なら、契約期間を守って、常識の範囲内であれば、ある程度はいつ辞めても自由だと思っています。
ちゃんと長く働いてもらいたいなら、企業側だって社員として雇うべきだし。

派遣社員って、こんなにひどい扱いを受けるものだっけ?というのが正直な感想でした。というか、やっぱりアタリが悪かったのかも。
私が今までいた会社でも派遣さんを何人も雇っていましたし、取引先の派遣さんとやり取りする機会もたくさんありました。
みなさん優秀だったし、教育係をつけてちゃんと一定期間レクチャーをして、ある程度は社員と同等の立場で仕事をする、というのが普通だったのですが。

私は、とある会社の英語対応サポートとして雇われましたが、はじめから放置でした。教育・マニュアル・レクチャーも何もなくて、ときおりチャットや電話でコレ英語に訳して、とかコレ入力しておいて、みたいな業務をポーンと投げられて、あとは放置でした…。
そのわりに、長く続けてほしい!とか言われたり、忙しさのあまり放置してしまってごめんなさい、と深刻に謝られたり、まじでカオスでした…。

私にも悪いところはあったのかもしれません。
もっと自分で貪欲に勉強して、「これを私にやらせてください!」とか言えばよかったのかもしれないです。

もちろん、教育やマニュアル、レクチャーの類はないのか、そもそも仕事はないのかは何度も聞きました。
ですが、半年たっても平謝りされてばかりで解決されず。
ACTION SPEAKS LOUDER THAN WORDS」ですね。
DON'T TRUST THIER WORDS, TRUST THIER ACTIONS」です。

こんなに仕事がない状態でお給料をもらうのが心底しんどくなってきて罪悪感で押しつぶされそうになったので、辞めることにしました。

映像翻訳というライフワークがなかったらと思うと心底ぞっとします。
私はもう二度と派遣はやらないです…

なんというか、留学や独立についてず~っと迷って答えが出せないままでいるから、こんな中途半端なことになっているのかもしれませんね。
すべてのことは、やっぱり自分が原因で起こる…というか。

でも、今年はいろいろなジャンルの映像翻訳の仕事ができたし、大事な人たちにも会えたし、おいしいものいっぱい食べられたし、とりあえず生活には困らなかったのでまあよしとします!

いろいろと考えを巡らせる冬休みになりそうですが、とりあえずは担当してる案件を納品します!

みなさまよいお年を。