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この先に出口があります。[この1年とこれからの事]

2021年.春

 日曜日夜、スタッフから同居家族の発熱を知らせる電話がかかってきた。新型コロナウイルスの可能性が捨てきれない以上、2週間、もしくはPCR検査による陰性の確定が出来るまでの間の出勤停止を指示する。
 スタッフが溢れているクリニックでは無いので、シフトの穴は私が埋めることになる。忙しい1週間が始まろうとしている。

 私は医療界の片隅に生きてる。都内の内科クリニックという片隅だ。
 クリニックに勤める私達の新型コロナウイルスに対する心づもりは、他の業界の人達よりも少しシビアだ。
 医療機関、特に街の診療所(クリニック)において、毎日毎日顔を合わせる患者の約9割が、高齢者または糖尿や高血圧など基礎疾患を持つ人、つまり、新型コロナウイルスにおける『高リスク』の人達である。医療機関で感染をさせない様に、細心の注意をしなくてはいけない。昨日来た患者さんは最近100歳になった。

(小さな医療機関であるクリニックのスタッフから陽性者が出て患者へ感染が広がった場合、おそらく経営の危機に陥るだろう。という現実的な問題ももちろん抱えている。生きていくのは、生活する事は綺麗事だけでは済まない。)

『この春やりたい事』を考えた時に、では1年を振り返ってみようかな?と思って半月、なかなか書けないでいる。しんどさで手が止まってしまう。

新型コロナウイルスで変わった生活。
 そんな中、内科クリニックで働き、経営を担う1年。


 時系列で細かく書き連ねるのは早々に諦め、感情を大まかな流れで書いてみた。

※※※

 新型コロナウイルスの脅威が始まって、私を襲った最初の感情は、もちろん恐怖だ。

 何も分からないウイルスに、整備しきれていないクリニックの感染対策。手に入らない防護服やマスクを手に入れようと探す日々。
 暗闇を手探りする様な日々の中、一般の患者への感染と、もちろんスタッフの危険を極力回避するため、最善の受診方法を院長と話し合い(ときに争い)決定、変更をしていく。
 小さな医療機関にいる私はルールもすべて自分(と院長)で決めなければいけない。(従業員を守るのは私だ)

 風邪や発熱患者へ、電話連絡後に予約しての受診を呼びかけるも、普通に入ってきてしまう患者は多数いる。感染のリスク回避の為に再度風邪診療の時間の来院をお願いしても、「今しんどいのだから、今診察してくれ」と言う患者の多さ。
 それでなくとも「医者なんだから、何をおいても目の前の患者を診るべきだ」という考えを持つ人間は存外に多い。し、もちろんそこには医師やそれに連なる者のジレンマが存在する。

多くの人に対する最善は、1人の人への最善ではないんだ


 医師は病気にならないと思っているのか、医療機関に勤める人間に病気に対する恐怖は無いと思っているのか。と思う様な行動を取る人も存外に多い。

恐怖はある。
明日こそ、コロナに罹るかもしれない。コロナに罹ったら、死ぬのだろうか?・・うちのクリニックは潰れるだろうか?
そう思いながら、日々、発熱患者の対応をする。

コロナへの恐怖と、私は、そしてこのクリニックのこのやり方は、間違えて居ないだどうか?という不安。

(もちろん、患者さんが悪いわけではない。あの頃は右も左も錯綜していて、保健所に電話をしても、近隣のクリニックに行けとしか言われないことが多かった。そしてもちろん、保健所や行政が悪いわけでもない、誰も悪くないことがこんなにも苦しい事がある。)


※※※

2020年5月 ブルーインパルスが飛んだ

 ブルーインパルスが飛んだ映像をニュースで見た。テレビで見たブルーインパルスの映像は美しく、確かに少し感動的で、けれども胸が苦しくなるものであった。

「医療従事者にエールを」日々言われていた。

 もう一度言う。ブルーインパルスってやつが飛んだらしい、と言うことを私達は、ニュースで見た。仕事の合間の休憩中、休憩室の窓をあけ、看護師と医療事務のスタッフと、等間隔に極力離れながら食事をしていた。休憩室にはテレビがついていた。

「何これ綺麗だね・・」
言葉少なに食事をしている中ニュースを見ながら誰かが言った。
「医療従事者にエールを送るために、ブルーインパルスが飛んだらしいよ。」
テレビに1番近い誰かが説明する。
「ほんとだ、綺麗だね・・この辺にも来たんだね・・」
惚けながらテレビを見ていた。私達は医療従事者だった。

 何人の医療従事者が、ブルーインパルスが飛ぶと言うことを知っていたのだろうか?どう周知されていたのか?私は知らない。
 少なくとも、2月からこっち毎日の様に(変更する医療の体制などについて)区役所や厚生労働省や医師会から何枚も何枚も届いていたFAXの中には、ブルーインパルスの事は何も書かれていなかった。

わかっている、ただ拗ねているんだ。
恐怖の次の感情か「拗ねる」と言うのはどこか笑える。

 毎日毎日、(この頃は)検査の手段も持たず、闇雲に発熱患者に対応している私たちは、エールを送られるべき「医療従事者」では無いのか。
(事務職は医療従事者では無いという事は別の話として)

 もちろん、日々コロナ患者と戦う医療従事者には敬意を謝意を。けれど、私たちも「医療従事者」では無いのか?

※※※

夏 何人かのスタッフがクリニックを去った。

 時には泣きながら「一緒に戦えなくてすみません」と言われた。
 しょうがない事だった。診療体制の変更(臨時対応として始まった電話診察への対応など)で確かに私たちは疲弊していたし、その上恐怖も付き纏った。
 私は逃げることを良しとしている人間で、ここでの逃げは、己をそして家族を守る戦い方の一つだ。と思っているし。そう明言もしていた。立場が違えば私も逃げたであろう。逃げたいと何度も思った。

秋 クリニック近隣の病院でクラスターが発生した

 知らせを受けたのは私だった。
「クラスターが発生しました。当分の間、外来診察、入院患者の受け入れの停止、CT・MRI等の検査の受け入れの停止が決定しています。申し訳ありません、貴院からの紹介や検査予約をしている患者様ですが・・」と続けるいつもより畏まった病院の事務の方の言葉に被せる様に言っていた。
 「もちろん、当院からの患者様への説明はこちらで引き受けさせていただきます。」必要以上に謝って欲しくなかった。この場合「頑張ってください」も適切では無い気がした。私に出来ることは、私が出来ることを引き受ける事だけだった。

 うちから検査依頼や入院の予約をしていた10人程度の患者さんへ電話で連絡をした。
 「〇〇病院でクラスターが発生したようで・・」という私。患者さんの「あら、大変ね、ご苦労様。」の言葉に涙し、「え?じゃあ私はどうすれば良いの?どうしてくれるの?」と言う(少数の人の)言葉にまた、涙した。

この頃なんだか全てが悲しかった。そしてもちろん、また、誰が悪いわけでもなかった。

※※※

 こうして1年が経った。当院でも夏からコロナの検査を開始し、何人ものコロナ陽性患者がでた。年末最終日、陽性患者の家族(後に陽性と判明)に詰め寄られ、なんとも暗澹とした正月を迎えたりもしたけれど。スタッフは1人も、風邪も引かずに1年が過ぎた。
 早々に受付に立派なアクリル板を取り付けたし、今では防護服やマスクなどの不足も(N95マスク以外)無い。

 不足に喘いでいた最初の時に、真っ先に寄付いただいた「空飛ぶ医師団」へは最大級の感謝を。マスクが、防護服が届いたあの時の安心と感動は、とても口では言い表せない。

 防護服を着ている姿を見て、「先生やだ、こわーい」と笑う患者は居なくなり、なんで今診てくれないんだと怒る風邪患者もほぼ居なくなった。

 恐怖が無くなる事は無いだろう、コロナが当たり前の日常になる事も無いだろう。けれど、我々も患者も、少しづつコロナ後の窮屈な毎日に慣れた。「これをしているから大丈夫」という少しの盾と共に、心も少し鈍感になった。
(経済を踏まえた上でと言うことははわかるのだけれど、ウィズコロナという言葉は心情的にはナンセンスだなとは思う。これは政治批判ではない。)


桜が咲いた。 
去年「今年は我慢しよう、来年はきっとお花見ができるから」と言っていたこの季節がやってきた。
 日本人だからかDNAに刻まれているのか、桜が好きだ。いや、好きとは少し違う、見ずにはいられないという焦燥感にかられる。幼い頃から桜桜と言われ続けられた、ただただ刷り込みかもしれない。
 この季節は桜を探して空を見ることが増える。し、毎年毎年、ああこの季節がやってきた。とも思う。
 今年も、この季節がやってきた。

 大体において桜が特別なのは、そのあり方だろう、一斉に咲き誇り我先に散る。

 儚く、そして強い。

 桜の花びらだけが散っても桜のままだ。
 白に程近い「桜色」の花びらは散って泥水に呑まれようとも、桜色のままそこに浮いている。

桜を強い、と感じられる私は、まだ大丈夫だ。

何日か暖かい日が続いた、桜が咲いたと思った瞬間に今年も少しだけ冷えた。そういえば、花見は毎年寒さに震えていたなぁと思い出す。

ああ、友達と花見がしたい、震えながら、寒いじゃんって愚痴りながら。

 2021年3月14日、東京ではソメイヨシノの開花宣言がなされた、奇しくも去年と同じ日にちらしい。今年も、腰を据えてのお花見ができない。

私は、当たり前のことを当たり前みたいにやりたいんだ


 先に言った通り、新型コロナウイルス予防に対して私たち医療界の人間は、少なくとも私の周りのクリニックの人間は、他よりも少しシビアだ。
 それは、それが日々の恐怖に立ち向かう「これをしているから大丈夫」の盾だからかもしれない。

不要な外出はしない、自転車通勤が多いクリニックなので、1年電車に乗っていない人間が大半だ。(私は少し離れた所に住んでいるので電車通勤だけれど)

夜も昼も含め、飲食店にはほぼ行かない。

ジムもボクシング(医師)も辞めた

年末年始、田舎に帰った人は居ない。
旅行も1年誰も行っていない。

仕事から帰ったら真っ先にシャワーを浴びる。(医師看護師はこれが以前からの習慣らしい)

 クリニックから指示を出したわけでもないのにこうなので、医療従事者ってすごいなと、5年前まで医療とは関わらないところで生きてきた私は少し感動している。(私が一番緩いぐらいだ)

 もちろん私も、不要な外出はしていない、ジムやヨガも行くのを辞めているし、この1年5回も飲食店には入っていない。
 私はコロナ前まで毎日のように喫茶店やカフェに行っている人間だった。カフェでよく仕事をしていたし。仕事帰りに頭を切り替える為に、ほぼ毎日カフェや喫茶店に寄っていた。特別な喫茶店に行っていた訳ではない。例えばドトールやベローチェ、スターバックスのチェーン店であっても、家に帰り着く前にちょこんと寄る時間は、深く息をする様な時間で、非常に大切な時間だった。

この春やりたいことは何かな?と思った時、真っ先に思ったのは、今まで当たり前だった、なんてことなかった、このワンコインもしない値段のコーヒーを飲みに行くことだ。

チェーン店の特筆するほど美味しくはない、あのコーヒーを飲みたい。毎日の習慣として、気負わず、特別でも無く。ああ、すっごく・・美味しいだろうな。
春には花見がしたい。

 私たちは今、教科書に載るような日々を生きている。
 【この時代、人間は外出を自粛し・・花見は規制され・・緊急事態宣言が何度か発出され・・〇〇〇〇・な日々でした。】

 今年は我慢しよう、今年は我慢しようと思って1年が過ぎた。あとどれくらいの我慢が必要かわからないまま、桜は散歩がてら近所で見た1回で散った。(近所のカフェにももちろん寄らなかった)。


 両親も医療従事者でかつ高齢、隣県に住んでいるため、(車で1時間の距離なのだけど)もう1年以上顔を合わせていない。
「もう会わないで死ぬんじゃないかしら?」昨日電話で母が言っていた。

 いつか、この日々が教科書に載るほど遠い日になった時、けれど私はこの日々を忘れたく無い。

 みんなで戦ったよね、みんなで頑張ったよね、今年の桜は見れたけど、あの年の桜はあまりよく見れなかったね。

 今年の桜は、きっと来年の桜とは違うし。もちろん去年の桜も違っただろう。
 違うと言うことをずっと知らなくてはいけない。

 父母に会わない間に私はずいぶん白髪が増えた(1年で急増したそれは、美容師曰くストレスが原因らしい)

ああ、カフェでぼうっとしたいんだ、花見も旅行もしたいけれど、今はそれだけでいい。


2021年、春。この先に出口が有ります様に。

おわり。

私は医療界のほんの片隅の人間で、これは医療従事者としての感情では無く私個人としての感情だと言う事。ここに書かれた全てのことについて、誰も悪く無いのだと言うことを今一度明記させていただきます。出口はもうすぐ。

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。