見出し画像

祖母のことば、または魔法

「べっぴんになったね」広島について新幹線を降りるとホームで待っていた祖母が言った。

祖母に会うといつも言われる言葉。広島駅に降り立った私は、8時間にもおよぶ電車と新幹線での移動でボロボロな筈なのに、いつだって祖母はいの一番に言ってくれる。
「〇〇ちゃんべっぴんになったね」
「あら、今日もべっぴんさんだね」
「まあ、またぺっぴんさんになっとるじゃないの」

乳歯が抜けて前歯がなくても「べっぴん」、理髪店のおじさんに誤ってスポーツ刈りにされていても「べっぴん」、年頃になった私が髪の毛を金髪どころかヒヨコ色にして現れても「べっぴん」…

ーヒヨコ色で現れた二十歳の孫を見て「ぺっぴんさんになったね、髪の毛がとうもろこしに似ていてしゃれとるじゃない、おばあちゃんも真似ようかね」と言い放った祖母は、白髪を紫に染め紫の色眼鏡をかけるようなハイカラな女でもあったー

…骨折した祖父の病院であっても「べっぴん」、癌で入院した祖母に会いに行っても「べっぴん」。

「べっぴん」につぐ「ぺっぴん」、「べっぴん」オブ・ザ・イヤー、いや、「べっぴん」天井知らずの鰻登り。
もう私のべっぴん度合いは、ガッキーだし広瀬すずだし、石田ゆり子だ。(個人的に好きな女優さんを並べてみました)
ところが私は私で、ガッキーでも広瀬すずでも石田ゆり子でもないので、まあ、そう言うことなのだろう。

ガッキーでも広瀬すずでも石田ゆり子でも無い私だけど、祖母と会ったその時だけはいつもより少しだけ特別になる。私はべっぴんでべっぴんでしゃれとるけえ、ぶちべっぴんさんなんだ。と胸を張ることができる。
祖母と会えなくなった今だって、まあ、ものすごく美人って訳じゃないけど、悪くないんじゃない?って思える。だってわたし、元べっぴんですし。

唱え続けてくれた祖母の魔法のおかげだ。


広島の祖母がアルツハイマー型認知症になった。私が25歳の時だ。
東京に住んでいる私は、社会に出てからは全然広島に行っていなかった。
「広島のおばあちゃん認知症だって」母に告げらた当時、社会人3年目。私には広島に行く時間的余裕も心の余裕もなかった。無いと思っていた。行けば良かったと思う。行けたはずだと今では思う。
この頃の祖母は、まだ日々の大半の時間、祖母のままだったらしい。

次に私が祖母に会ったのは28歳、突然祖父が亡くなった時だ。認知症の祖母の面倒をひとり見ていた祖父は、食事中の脳梗塞が原因とされる窒息で亡くなった。亡くなる祖父を間近でひとりで見ていた祖母の認知症は急速に悪化した。
私が再会した祖母は、もう既に大半の時間『ちゃんと祖母』ではなくて、時々『祖母』が戻ってくる、けれどちゃんとした祖母じゃない祖母も、やっぱり祖母だった。

祖母は優しい人だった。祖父に気を使い周りの人に気を使って元気な時も「ごめんねぇ」とよく言っていたなと、認知症になってずっと謝り続けている祖母を見て思い出した。(認知症とは人の本質が本当に表に出てしまう病気だなと思う。)

認知症になった祖母は、時々私を思い出したり忘れたりしながらだんだん記憶から消していった。
(もちろん、私を思い出した時は毎回「べっぴんになったね」と言ってくれた。)

完全に私が記憶から消えた頃、
「はじめましてかねぇ、あんたーべっぴんさんじゃねぇ」と祖母がやさしく微笑んだ。

おわり



(べっぴんとは、美人さんという意味です。)
(思い出し思い出し書いたので、広島弁がすこし違うかも)

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,462件

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。