短編小説『夕焼けと幼なじみの思い出 』
スヌーピーのエコバックを重たそうに提げる、香田さんの後ろを離れないように歩く。
スーパーマーケットを出る時に、代わりに持つと申し出たが断られた。親切で言ったつもりだったが、変な風にとられたのだろうか?
ゆっくりと噛みしめるような歩調で、彼女は先を行く。
彼女の表情は分からない。彼女は、後悔しているのかなと思った。
夕焼けが、あたりを名残を惜しむように黒色を段々と混ぜ込んで行く。自分は、間違ったことをしているのだろうか。
香田さんと一緒に帰り、スーパーマーケットで買い物をして。
それで充分楽しかった。それ以上に何があるのだろうか。
一人暮らしの若い女性の部屋に上り入り込むということは、相手が了承しているとはいえ、常識を外れていることになるのではないだろうか。
自分が、ボタンを掛け違えたような大きな間違いを犯そうとしているように思えた。
香田さんは、それを見透かしたように時折、振り返って私の顔色を窺う。
薄暗がりの中に、白く浮かび上がった彼女の透き通るような笑顔がそれらの不安を一瞬にして吹き飛ばしてしまう。
しかし、彼女が前を向いてしまうと。すぐにその不安がやってくる。
駅前の喧騒が消えて、時代に取り残されたような古い住宅街に入った。
香田さんはその中をあみだくじのように右左へ折れ曲がりながら進んで行く。
道路に面している猫の額ほどの庭に植木鉢が所狭しと並べてある。ぼろぼろになった発泡スチロールの容器にネギが溢れるように植えてある。その隙間を埋めるように植えてあるジニア、朝顔、ゴーヤ、キュウリなどが溢れるように植えてある。
私はそれを懐かしく思う。
この先を行けば、幼いころ住んでいた岐阜の自分の家があるような錯覚に陥った。
何処からか、豆腐屋のラッパの音が聞こえてくるような気がした。
門柱の上に、虫の死骸の黒い点々が付いた蛍光灯が色あせた乳白色の光を放っている。
ひび割れたコンクリートで固められた門柱に木の表札が埋め込まれている。
「佐山」
そう言えば、子供の頃佐山という名前の友達がいた。ふと佐山君の顔を思い出した。五十年以上前の記憶が蘇った。
今頃佐山君はどうしているのだろうか。
夕焼け空を見上げた。
「どうかしました?」
「懐かしい感じのする街並みですね」
「本当は、もっと分かりやすい道で帰ることが出来るのですけど、このあたりの街並みが好きなのでいつもここを通っています」
振り返った香田さんの透きとおたような白い顔と夕闇を吹き消すような澄んだ声は、美由紀の若い頃の姿を蘇らせた。
今頃、妻の美由紀はどうしているのだろう。
一人で夕飯の支度をしているのだろうか。
急に名古屋の自分の家に帰りたくなった。
娘のカンナも交えて、一家団欒で夕食を食べたくなった。
そう言えば、久しくそうしたことがなかったなと、思った。
香田さんが、振り返った。
夕焼けの中に溶け込んでいってしまう私を、香田さんの透き通るような笑顔が助け出してくれた。
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