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悪魔のささやき 5-1 (『夕暮れ前のメヌエット』より)

 ゴルフ場に着くと、すでに田中と二代目社長は先に着いていた。業界新聞で見たことがあったので社長の顔は直ぐに分かった。思っていたよりも小柄で、華奢であった。

 「おはようございます」

 田中は、何時もの様に「すまん」と言う感じで、右手を上げて答えた。自分のことを紹介したのであろう、田中は若社長に何事か耳打ちした。

 若社長は、顎を上げて、上目づかいにこちらを一瞥しただけで、手にしたクラブの握りが気になるらしく、すぐに視線を手元に落した。エネルギッシュな先代の面影は、目元と眉の形に残すのみであった。

 田中はその応対ぶりを見ていて、片目をつぶり、口元を絞り、「いつももことや。堪忍してや」と、若社長に気づかれないように、顔を作って伝えてくれた。

 プレーが始まって、ラウンドしている間もどうもしっくりいかないでいた。事あるごとに田中のことを「ご老体」と呼ぶ。尊敬して使っているなら良いが、明らかに小馬鹿にしている。少しでも、ミスショットをすれば、「ご老体、かつての栄光は何処に行ったんでしょうか」とか、「もうそろそろ、限界じゃないんですか」と口にする。それが耳障りになるのだ。

 田中は、さして気に留めていなく軽く、受け流している。媚びないにしても、自分を道化に落して、若社長に接している。かつての田中を知っているだけに、その姿は痛々しく映った。

 若社長は、飛距離の出ない私に対しても、「御社と同じで、ヒット作はないけれども、手堅いですね」とか、ミスショットをすると、「おやおや、それは御社のマーケティング戦略の一環ですか」などと皮肉を言う。一緒に回っていて少しも楽しくないのだ。田中が私を誘ったのが分かるような気がする。田中はもっと面白くないと思っているだろう。

 そうかと言って、若社長はあまり上手くない。必要以上にスタンスを広くとって、グリップを何度も握りなおして、体に不釣り合いな長いクラブをゆらゆらと振り上げて思いっきり振り下ろしている。クラブが長いものだから、ボールに当たる瞬間は手が縮こまって、背伸びするようにして打っている。打った瞬間のすがたは、プレーイリーキャットが、穴から顔を出している姿にそっくりである。

 そのくせ、日本のゴルフ場は狭くて打ちにくいとか、合わないとか、アメリカのゴルフ場の話ばかりが出る。

 何かぎくしゃくしながらも、最終ホールまで来た。白いクラブハウスが見えて来て、やれやれと言う感じだ。相変わらず若社長は嫌味を言い残して、最後にティーショットを打った。そのショットは、若社長には珍しく、160ヤードを超えて、フェアウェイのど真ん中に落ちた。

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