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『スカイフック』第8話 命中!

「敵編隊、最後尾通過。全機で249機。敵編隊、最後尾通過、全機で249機」

監視所にからの無線が入った。

「砲弾に限りがあるから、半数が通り過ぎるまで待機」

分隊長からの伝令が回ってきた。

他の班は、秋祭りの地車の出発前のようにいきり立って、今か今かと待ち構えている。

米田上等兵の班だけは、ひっそりとしている。班のメンバーは、顔もあげずに熱心に小さな手帳に書き込んでいる米田をなるべく見ないようにしている。しかし、どうしても意識はそちらの方に向いてしまっていた。

その間にもB29は、爆弾をバケツ運びの水のように撒き散らして行く。最初は、三菱発動機名古屋工場だけを狙っていたものが、段々と狙いが怠惰になってしまって、周辺の住宅までお構いなしに落とすようになってきた。

地上で見ている誰もが、腹の中を素手で掻きむしられるような気持ちになっていた。出来るものならば、あいつらを引き摺り落として、皆殺しにしたいと思っていた。一人を除いて。

米田上等兵は、相変わらず小さな手帳と格闘していた。

そして、一段落ついたのか、手帳から目を離して、悲惨な光景が繰り広げられる東の空を見上げた。風景画を書く人がするように、鉛筆の先を対象物に当て始めた。そして、画板のように肩からかけた昨日貰った最新地図にまるで絵を書くように何やら印や数字を書き込んで行く。

誰もが、緊張と憤怒に満ちた顔をしているのに、彼のだけは画家のような美を追い求めているような恍惚とした顔をしている。

しばらくすると、守山高射砲部隊の虚しい抵抗も止んでしまった。誰も咎めるものがいなくなった侵入者は狙いも、いい加減になって来た。ずいぶん離れていたはずの航路も少し近くなって来たような気がする。東の空を染めていた光の束が、空全体をオレンジ色に染めるようになって来た。

「攻撃開始」

満を辞したように、鶴舞高射砲分隊は猛り狂ったように撃ち始めた。夕暮れの雁の群れのような爆撃機の編隊は、横槍から狙う年老いた猟師の弾には気づかないかのように悠々と横切って行く。

米田班だけは、まだ打とうとしない。空を見上げているだけだ。米田上等兵は、他の班が撃った弾の弾道と炸裂した煙の後を追っている。

「風向きが変わった。海風が、山風になっている」

と、言った途端、また手帳に何かを書き込んだ。そして、後方に控えているサーチライトの二組に白煙がたなびく空に、同じ方向に照らすように指示した。巻き尺を取って来て、その距離を図った。空に放った平行線の間を流れる煙幕の通り過ぎる時間を腕時計で確認する。また手帳に向かう。

威勢の良い花火師のように空に弾薬を無駄に打ち込んでいる他の班の連中は、片目で、一向に撃たない米田の班の連中を睨む。誰もが、経験と根性だぜと叫んでいるような気がする。

それでも、米田班はまだ撃たない。

「班長、最後の編隊が来ます」

その声を聞いても、まだ顔を上げない。ふた呼吸ほど置いてやっと顔を上げた。

「北東45度37分、仰角48度50分、発射用意、一番機を狙う」

班員たちは、口々に復唱して、てきぱきと標準を合わせる。

準備完了である射手の右手が上がったのを確認すると、

「撃て」

米田上等兵の引き裂きような号令がかかった。

撃った弾は、最後の編隊の一番機の尾翼に吸い込まれるように飛んだ。他の班の皆が、初めて撃った米田班の弾の行先に注目した。そして息を飲んだ。最初の一撃にも関わらず、一直線に敵機に向かう弾道に見入った。そして、誰もが、命中すると確信した。

砲弾が爆発した。煙幕で包まれた一番機の尾翼は、再び現れる時には無残な姿を晒すと思われた。しかし、煙幕を潜り抜けて姿を現したその尾翼は、無傷であった。

「目標変更、後続機に目標変更、仰角48度49分に変更」

先程は、もう少しのところを外したので、今度は誰もが当たると期待した。しかし、米田上等兵はサーライトに浮かび上がった後続機の爆弾投下用の扉が開いているのを見た。

爆弾を落とし出したところを撃ち落とせば、命令違反になる。

「修正二分西、即発射」

とっさに修正を入れて、発射の号令をかけた。復唱するより、早いほどに2発目が撃たれた。

今度の弾も、まるで吸い込まれるように、最後尾のB29の尾翼に向かって行った。先ほどと違って、赤色の塊が花火のように飛び、黒い破片が飛び散ったのが見えた。 

「命中」

米田上等兵は、自分が指揮した砲弾が見事命中したにも関わらず、苦虫をかみつぶしたような表情で、手帳に何事かを書き記していた。 つづく

                              


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