見出し画像

女の勘(小説『天国へ届け、この歌を』より)

裕司の部屋。

裕司の香り。

うずたかく積まれた本。

皺のない真白いシーツときちんと四角形に畳まれた掛布団。

裕司の性格を表しているように整然と片付けられている。

でも何かが違う。

これは女の勘。

部屋の中の空気の中に、何か異分子が混ざっている。

それは、ごく僅かだけど私には分かる。

先週の土曜日の夜、裕司に電話を掛けた。

いつも出てくれるはずの裕司が出なかった。

掛け直してもこなかった。

次の朝にかけたけど、様子がいつもと違っていた。

平静を装うための技巧が感じられた。

裕司は、嘘のつけない正直な性格。

その彼が、何かを取り繕うとする時に、少しトーンが上がって、少しだけ早口になる。

その違いは、長年寄り添って過ごした私にしかわからない。

不思議なのは、その時に限ってトーンが下がっていたこと。

明らかに、いつもと違っていた。

何かに気を使っているような感じ。

誰かが、近くにいたのかもしれない。

気になって、一日早く裕司の部屋に来てみた。

ベテランの刑事のように、徹底的に痕跡を探した。

何も見つからない。

強いて言えば、赤い文字が印字された「スミノフアイス」の瓶が2本、分別ごみのビールの空き缶から見つかっただけ。

普段家ではビールしか飲まない裕司が、こんなものを飲んだのかしら。

でも、何かが違っている。

やっぱり、部屋の空気の中に裕司のものでない何かが、混じっている。

気になるので、もう一度探す。

何気なく開けた、洋服ダンスの私専用の引き出し。

微かに漂う洗剤の香り。

それは、バスローブとバスタオルから、漂ってくる。

洗剤の香りに混じった、夏の乾いた太陽にさらされた香ばしい香り。

これを洗ったのは、何時だったかしら?確か、ゴールデンウィークに来た時に使ったはず。

念のために、下着も調べたけれど、異常はなかった。

裕司は、私のバスローブとバスタオルを最近洗っている。

やっぱり、誰か来ていたのだろうか?

バスルームを調べる。

裕司のことだから、排水口のネットまで綺麗に掃除されている。

問題は、この奥なの。

排水口のネットを外して、その奥を調べる。やっぱり。

ヘドロのようなゴミに混ざって長い髪の毛が一本出てきた。

私の髪ではない。もっと太くて長くてしなやか。

明らかに若い女性の髪の毛。

確かに先週の土曜日から日曜日の朝にかけての悪い予感は、当たっていた。

嫉妬。

もっと、湧きあがる嫉妬心に駆られると思ったけれど、なぜか悲しくなってきた。

誰かが、この部屋に入って来ている。

私より若い女。

バスルームに入って、私のバスローブとバスタオルを使った。

私の知らない女。

私の知らない裕司。

サポート宜しくお願いします。