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新説坂本龍馬暗殺5-5(『龍馬が月夜に跳んだ』より)


 服部が、藤吉の強烈な羽交い絞めで落とされようとした時、抜き身の手槍を手にした大石が、疾風のような速さで二階を駆け上がってきた。

 「中岡は何処じゃ。お前ら、ぶった斬られたくなけりゃ、大人しくしろ」

 奥の部屋に入ろうとするが、行く手は服部を羽交い絞めしいる藤吉がふさいでいる。

 「服部さん、ご無礼」

 大石は、羽交い絞めしている状態のまま藤吉の脇腹に手槍を浅く突き刺した。藤吉は思わず羽交い絞めを外した。藤吉は自分の痛みに手を当てる前に、龍馬を探した。

 龍馬は、この場を逃れようと、正面の障子を開けて物干し場に移ろうとしていた。藤吉は、傷ついて血が流れ落ちているのも気に留めず、体を左右に大きく揺らしながら、龍馬の方へ向かって行った。

 服部は、すかさず居合抜きに藤吉の背中を右袈裟掛けに斬った。先程とは違い。今度は刃を入れて切り下げた。それでも、藤吉は龍馬の方に向かって行こうとした。そして前のめりに倒れた。悔しそうに握った右手を前に出したまま息絶えた。

 龍馬の背後で、激しい振動は伝わるが、全くの静寂に包まれている。脇差を逆手に持った左手で、物干し場に出る障子を開ける。

 身を清めるような冷たい風が入ってくる。

 身体を投げ出出すようにして段差を上がって、ようやく物干し場に出ることが出来た。両手がふさがっていて使えないので、物干し場の欄干に肘をかけて、何とか立ち上がることが出来た。

 龍馬は、凍りついた。物干し場の周りは何もなくて、下に中庭があるのみ。屋根伝いに逃げることが出来ない。ここを飛び降りるしかない。

 その時、背中をこん棒で打たれたような衝撃が走った。

 龍馬の胸から、急に角のようなものが出てきた。

 大石が背後から、龍馬を手槍で突いたのだ。龍馬は、心臓を後ろから一息に差された。心臓を貫いた穂先は、勢い余って龍馬の体を突き抜けてしまった。

 龍馬は、刺された衝撃で欄干から前のめりになって、頭から下に落ちそうになった。次の瞬間、大石は素早く手槍を引いた。その反動で今度は、仰向けになった。不気味なほどに沈黙。仰向けに倒れる瞬間に、満月が目に入った。見事なほどの満月。後から、拳銃を握ったままの右手が満月の前を横切る。

 それは、まるで月に向かって、龍が駆け昇って行くように見えた。

 「お龍」

 龍馬は、物干し台に仰向けに倒れた。しっかりと開かれた両目は、月の光を帯びて輝いていた。

 「大石さん、違う。それは、坂本龍馬だ」

 血の滴る脇差を提げたままの服部が叫ぶ。

 「誰であろうが、逃げるものは斬る。中岡は?」

 振り返ると、仰向けに倒れている者がいる。

 「誰が、中岡を斬った」

 「偶然だ。坂本の拳銃の弾が、暴発した」

 大石は、右手に持った手槍を後ろに回し膝を折って、屈みこんで中岡の息を確かめた。まだ息はある。

 「リョウマサン、マダシヌナ、ユメガアルハズ、シヌナ、ユメユメ、ユメヲカナエヨ、マダシヌナ」

 大石は、この言葉を、念仏を唱えていると勘違いした。

 「分かった。成仏させてやる」

 大石は、脇差を抜くと中岡の喉を一突きした。

 中岡は、口から血を噴き出して、目を見開いたまま息絶えた。

 「お前らも、同じ目に遭いたくなければ、他言するな」

 谷と田中は、藤堂の凄みで動けないところに、大石の所業を目の辺りにして、恐怖で体が震え出して、その場にへたり込んだ。

 結局、この二人は、大石の言ったことを生涯守り通した。そして龍馬と中岡の死を前にして、何も出来なかったことを一生悔やみ続けた。

 大石は何事もなかったように勝手口から出てきた。

 手槍を上に突き上げて、岬神社の物陰から監視する齊藤に、任務が無事終了した合図を送る。

 「状況終了」

 「中岡は仕留めた。仲間一名は逃走しようとしたが阻止、生死は不明。これより、帰隊する。監察に報告、使用した刀剣の検分を受けよ。使用したのは、この手槍のみ。廣瀬、これを検分してもらった後、手入れしておいてくれ、またすぐに使うかも知れん」

 廣瀬は、大石の手槍を抜身のまま手渡される。穂先は輝きを失っており、刃元に血糊が付いている。これをそのまま屯所まで持って帰るのも気が引けたが、大石に言われたので仕方がない。

 「わしは、島原の分所に帰る」

 もとより、新選組の分所など島原にはない。大石は、一仕事終わった後には必ずと言っていいほど島原の馴染みの遊郭に行くのである。

 月だけが見ていた。真実をありのままに見ていた。

 しかし、満月の光に照らし出された人々は、芳醇な葡萄酒の酔いのように、幻想的になった。誰もが、それを思い起こす時に、あの時は酔っていたからだと言い訳する。

 もう一度、月を見上げよう。月の光に全てをさらけ出そう。

 もう目を覚ましてもいい頃だと気づくはずだ。

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