時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第28話「夢をかなえよ、まだ死ぬな!」
火鉢の灰を頭からかぶった龍馬は、一瞬何が起こったのか理解できない。
炭の火の粉もはねたようで、髪の毛の焦げた匂いがする。
目が明かない。
耳が聞こえない。
辺りは騒然としているのに、沈黙の世界である。
先程流した涙のおかげで、闇が溶け出すように徐々に視界が蘇ってくる。顔を袖で拭おうとしたが右手が焼けるように熱い。重くて手が上がらない。
右手を見る。
拳銃を握ったままになっている。右手の指を砕かれたらしく大きく張れあがって、自由が利かない。龍馬のぶざまな右手に拳銃がぶら下がったままになっている。
立ち上がろうとするが、右手を支えに出来ない。踏ん張るが、腰が抜けたものか立ち上がることが出来ない。
「中岡、俺は手をやられた。起こしてくれるか」
左手だけで這うようにして、中岡慎太郎ににじり寄る。
あろうことか、中岡は仰向けにひっくり返り、胸から血が噴き出している。
苦しそうな呼吸だけが聞こえる。
龍馬は、悟った。
藤堂を撃とうとした弾が、右手もろとも服部に斬られたために、狙いがそれて中岡の胸に当たってしまったのだ。
龍馬は、悔やんだ。
同志を拳銃で撃ってしまったことを、しかもそれが中岡慎太郎であることを。
咄嗟にこのままでは生きて行けないと思った。
腹を切るしかない。
脇差がない。
中岡に貸していたのを思い出した。
中岡が差していた自分の脇差を引き抜こうとするが、左手だけでは上手くゆかない。仕方なしに、左手だけでそのまま刀身を抜いた。そして、中岡の血で濡れている柄を逆手に持ち替えて、自分の腹に突き立てる。
その瞬間、今まで瀕死の状態であった中岡が、龍馬の左手を急に掴んだ。
「リョウマサン、マダシヌナ、ユメガアルハズ、シヌナ、ユメユメ、ユメヲカナエヨ、マダシヌナ」
何処かで聞いたことがある言葉だ。
そうだ、三吉慎蔵から聞いた言葉だ。
寺田屋の襲撃から逃げる途中、もう駄目だと観念して腹を切ろうとした時、三吉が言った言葉だ。
その言葉がよみがえってきた。
「そうだ、まだ死ねない」
つづく
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