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短編小説『アダムとイブの食事の風景』

哲学者が本を読んでいるときの顔って、こんな顔なのだろうと思う。

オトーサンは、気難しい顔をして食べている。

オトーサンは、一口一口にその意味を見出そうとするように食べている。それってなんだか怖い。会話しながら、楽しく食事をしたいと思っていたのに期待外れ。

オトーサンが、スパークリングワインをまた一口飲んだ。

目を閉じて、考えている様子。

俳優が楽屋で台本を覚えているように、微かに頭を縦に振って、何かを確認している。答えが出たのか、目を開いて、何事もなかったように食べ始める。

黙々と食べ始める。

また、スパークリングワインを同じようにして飲む。それが繰り返される。
ワタシの存在を全く意識しないで、目の前の料理と格闘するように食べている。

男の人の黙々と食べる姿って素敵。オトーサンとは、だいぶ歳は離れているけれども、なぜか今の姿を見ると異性なのだなと感じる。お父さんとは違う部類に入るオトコを感じる。

食べているオトーサンは改めてオトコだったのだと気づく。

キャンドルの炎は、こんなにもあったかく感じるなんて思わなかった。

キャンドルの明かりは、こんなに眩しいとは思わなかった。

それはワタシの皮膚をすり抜けて、体の奥にまで入り込んできている。

さっきのグラスの柄を合わせて乾杯したミッキーとミニーちゃんとのキスで、確かに何かが変わった。

オトーサンの存在が、お父さんより近くなった。

オトーサンが笑った。

ワタシも、笑った。

ワタシが、笑った。

ワタシが、笑うことができた。

「お父さん、ワタシ、本当に笑うことができたのよ。ワタシが、笑ったのよ」

大人になったワタシの笑った顔をお父さんに見せたかった。

オトーサンは、黙々と食べている。哲学者が、本を読むように、ひたすら食べ続けている。

私はそれを見ている。

授乳する母親は、子供の顔をこんな風に見るのかなと思う。

黙々と食べているオトーサンにオトコを感じる。

スパークリングワインを一口飲んで、目を閉じてその余韻を楽しんでいるオトーサンにオトコを感じる。

それを見てと、ワタシの中で眠っているオンナが、身体の奥にまで入り込んでいるキャンドルの明かりによって、徐々にあぶりだされてくるのが分かる。

それはアダムとイブ。

過ちを犯す前の本当の意味でのオトコとオンナ。

オトーサンの咀嚼する音。お箸が茶碗にあたる音。スパークリングワインの泡の弾ける音。壁掛け時計の秒針の音。クーラーの響き。キャンドルの炎の揺らぎ。私の心臓の鼓動。

それらがハーモニーとなって音楽を奏でだした。

静かに流れる音楽。

私はそれをずっと聞き入っていたいなと思う。

「香田さん、さっきの歌すごくよかった。耳に残ってしまったみたいだ。また聞かせてくれる」

「いいですよ。今度は、貴島さんだけに聞いてもらうように歌います」

「ありがとう。こんなに美味しい料理を作ってもらって、さらに歌まで聞けるなんて最高だよ」

オトーサン、喜んでくれたんだ。良かった。

気が付いたら、オトーサンのご飯が残り少なくなっている。

「おかわりされます?」

オトーサンの食べる姿に気を取られたので、ワタシのはまだだいぶ残っている。

「すいません。おかわりもらえますか」

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