短編小説『天才彫り物師が残した知恩院 三門の秘密』
暫く手元に置いていた一枚の絵があります。甚五郎が描いた絵です。
知恩院の三門を書いた絵です。
私は普請がようやく終わって木曽から材木が届き始めた頃、現場に行きました。
届いた材木に符号を付けたり、材木に臍を入れたりして、大工らが慌ただしく働いている中に、一人だけ素知らぬ顔で、山の方を向いて絵師のように画板を肩にかけて、写生している者がおります。
左手で筆を持っているので、すぐに誰だかわかりました。甚五郎です。
熱心に書いている絵をのぞき込むと、そこには建てる前に作った模型と寸分たがわない三門が、背景の山に取り入れながら書き込まれています。
その時は全く何も建っていないのです。それなのに、風景の中に溶け込んでいるというか、元々三門がそこに建っているかのように、威容を放っているのです。
私は、三門が出来上がった後も、その絵を手元に置いていました。
誰が見ても、すでに出来上がった三門を書いたものと思うでしょう。
その謂れは、私と主人だけが知っているだけでした。
「その絵が出来上ったら、もらえるかしら」
私は、熱心に絵を描いている甚五郎に尋ねました。
「別にいいですけれど・・・」
そっけないのは、いつもの事ですが、その時は明らかに不満を持っているような表情をしていました。
「どうしたの」
「・・・。彫り物を入れるところが、全くないのです。京に出てきたら、思う存分、彫り物が出来ると思っていたのですが、これだけ、垂木と斗栱(ときょう)が隙間なく並べられると、彫り物を入れる隙間がないのです」
私は、甚五郎の才能をよく知っています。折角その腕前を披露できる機会が出来たと期待していたのでしょう。その落胆ぶりは、私にも痛いほど分かります。その時、私は将来この甚五郎は、きっと名を残すことが出来る彫り物師になると分かっておりました。
「確かに、外からみえるところは、決まっているから無理ですけれども、外から見えないところに、彫り物を入れといたら、構わないでしょう。大棟梁には私から、言っておきます。いつか、あなたの彫り物を必要とするときが来るでしょう。その為にも、存分に腕を磨いておきなさい」
「ありがとうございます」の答えを期待していたのですが、何も言わず無造作に今まで書いていた三門の絵を私に差し出しました。
私が受け取るや否や甚五郎は、三門の絵の下に置いていたものか、三匹の猿が書いてある絵に向かって、筆を走らせております。現金なものです。
後でわかったことですが、その時の下絵は、日光東照宮の彫り物になっているのだそうです。
それからわずか数年後の事ですが、私の目論見通りに甚五郎は、思う存分力を発揮できたのです。
甚五郎の事ですから、この知恩院の三門の何処か見えないところに、日光東照宮と同じ三猿を彫っていることでしょう。
私は、そんな気がします。