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消費

人間が並ぶ、その上をスクロールする指。
最近、自分の撮る写真に自分自身が興味を持てないでいる。
嫌いではない。
こう言ってしまうのも変にプライドがくっついている気がしてならない。

人間が写る写真の方が好まれている気がする。
簡単に消費されゆく手の中の写真には、
ポートレートから自然な瞬間の姿。
記憶に残った写真はない。
まだ見方が足りないのかもしれない。
でも、それが撮った者の自己満足で終わるものなら覚えておく必要もない。
自分の中の問いを疑問を、外へと放つこと。
現状の考えた答えは形にするとこうなったのと、
言うことしかできない。

流れる写真や情報に反射的につく肯定的な反応は
人間の頭をスマホの中へと引きずり込んでいるようで、世界は多分広いのに、どんどん目の向く範囲は狭くなる。

おはようございます、
そう言ってくれた幼い子が
顔はよく見えなくても強い存在として私に残る。

人間は常に物理的距離がある。
同じ時間生きているようで、だからあの人のことも分かった気になっているけど、何も知らない。
この進む時間、寝ているのか、起きているのか、人間は想像を信じて愛でて押し付ける。

便利になると使い回されているような同じ言葉がもう耐えきれないくらいにまで耳に入ってくる。
身体が飽きてきたのかもしれない。

残そうと思うなら、形にしないのはなぜ。
消費される中に留まっているのはなぜ。

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