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エンタメ性と批評性の両立は可能か 「モダン・ミリー」

 先日、「モダン・ミリー」の初日を観劇してきた。2020年の中止を経て、2022年再演、今年は再々演になる。私は、原作映画も前回の上演も未見だが、前情報として「ブロードウェイでは上演が中止されている」ということが分かっていた。「中止」というより、「禁止」と言った方が分かりやすいかもしれない。そうなっている理由は2つ考えられる。

①劇中に中国人差別と思われる表現があること
②主人公の第一の目標が結婚であること

 この2つの問題をどのようにクリアし、再演が許可されたのかということが私の観劇前の関心だった。そもそも最初は、そんな作品を上演する意味があるのかという疑問で頭がいっぱいだった。ブロードウェイで上演中止になっているような作品を、わざわざ上演する意味はあるのか?と。しかし観劇してみて、私は珍しく「皆さんに観てほしい」「広まってほしい」という超おすすめの気持ちで記事を書きたいと思えた。

 本作品は、表向きはハッピーで「何も考えなくていい」ミュージカルと銘打っている。正直、私は観劇中にいろいろ考えることが好きなので「何も考えなくていい」作品は好みではない。でも、そういうエンタメ性と、鋭い視点をもって社会に切り込んでいくような批評性の両立が可能かというのは常々気になっていることだ。私は宝塚歌劇の作品を観劇することが多いが、エンタメ性に優れた作品が多い中で、批評性の高い作品は少ない。自分自身の中で、エンタメ作品を楽しみつつも、常に批評性が乏しいことを受け入れるべきかという葛藤がある。

 でも、はっきりと言いたい。「モダン・ミリー」は、観客が納得できる形でエンタメ性と批評性をうまく両立させた稀有な作品であった。前述の通り、私は他のバージョンを見たことがないため、それらと比較することはできないが「モダン・ミリー2024年日本版」に非常に満足しているのである。

 まず、一つ目の懸念点であった中国人の描写について。主人公ミリーが宿泊するホテルでは、香港から来た中国人の兄弟が働いている。彼らはニューヨークに来たばかりで、まだ英語が話せず、うまく理解できない。この「話せない」というのを、どのように表現するかがミソだったと思う。今回は、兄弟は広東語で会話し、その日本語訳が上部に設けられた字幕モニターに映し出された。舞台上で異なる言語を話す登場人物が出てきても、一つの言語に集約されてしまうことが多いため、この表現には驚かされた。また、重要なのが兄弟のボスとして色々と指図するミセス・ミアーズとの関係だ。彼女は、兄弟に厳しいが、彼らの言動を馬鹿にしたり、容姿を罵ることはない。言葉が通じないことに苛立ち、辞書を持ち出してなんとか会話しようと試みる。本作はコメディであるから、基本的に登場人物を笑いの対象として扱うことになるが、「話せない」こと、「中国人であること」を笑いの対象にはしない。同時に、話せないにもかかわらず働かなければいけないという、当時の出稼ぎ労働者の問題も見られる。

 もう一つ、主人公ミリーの第一の目的が結婚であり、そのためにニューヨークへ移住し、「ボスが独身男性」の会社で働くという設定について。ミリーはその生き方こそが「モダン」であると信じて疑わず、もちろん当時はそれが「モダン」だったと思うのだが、その考えは現代の価値観にはそぐわない。今回は、ミリーが結婚を重んじているという設定は大きく変えないまま、「モダン」の意味をさらに拡張するような演出がなされていた。まず、ミリーが自身のモダンな生き方について語る際、結婚したいということよりも「女性側が選び取る」ということを何度も強調して言っていたように思う。最終的には結局「愛のある結婚」を選ぶのだが、それもミリーが様々な人物との出会いを通して「モダン」の意味を改めて考え、結婚しない/(金を優先して)結婚する/(愛を優先して)結婚する、これら全てを選べることが「モダン」であることを理解した上でのことなのだ。

 コメディだからこそ、観客が笑って帰れるように、納得させられる内容でなければならない。そのためには、制作された当時の社会と、上演される時代の社会の両方を批判的に見つめる必要がある。パンフレットに書かれた、演出の小林香の言葉が印象的だ。

キレのあるジョークがいくつもカットされましたが、それによりある特定の人が観た時に嫌な気持ちになる要素がなくなった喜びのほうが、私にとってははるかに大きいんですね。お客様にとっても、「変わっちゃったね」ではなく、「もっと幅広く楽しめるようになったね」(中略)と思える変更だと思いますので。前回同様の面白みと新しい喜び、ぜひ両方をお楽しみください。

「モダン・ミリー」パンフレットp.33、東宝株式会社演劇部、2024年

私はこれまで、批評性がエンタメ性を弱めてしまうのではないか、だからエンタメ作品では批評性があまりない(求められていない)と考えてきたが、エンタメ性を保つためには批判的な視点が不可欠であると分かった。これは作り手だけでなく、観客にも求められている姿勢で、劇場で多くの人と同じ空間を共有している以上、どこで反応し、どこでどのように笑うのかということが非常に重要だと思った。例えば、兄弟が広東語ではなく英語で(つまり劇中では日本語で)話し始める場面において、彼らは片言で話すことになるが、これは中国人の話し方を揶揄するものではない。だから、ここは笑うところではないと思うのだが、私が観劇した初日はちらほらと笑い声が上がっていた。舞台上の他の登場人物は笑っていない。観客である我々の姿勢も問われ始めていると思った。

☆追記
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