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飛鳥時代の争いまとめ

飛鳥時代は、蘇我氏の権力争いに勝利して、
推古天皇が即位した頃から始まります。

そして、聖徳太子が亡くなった622年の後の話です。

長期政権の後は、権力争いがあるのが
世の中のルールのようなものです。

飛鳥時代の覚えておきたい出来事

①645年 大化の改新(たいかのかいしん)

これまでの権力は誰が握っていたかというと、蘇我氏ですね。
その蘇我氏から力を奪ったのが、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。

ゴロで覚えてしまいましょう。

645年(蒸し殺し)の大化(大火)の改新 中大兄皇子・中臣鎌足(中中コンビ)
中中コンビ大火で蒸し殺し

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②663年 白村江の戦い

中大兄皇子が朝鮮半島の百済を助けるために、
日本は朝鮮半島で唐・新羅の連合国と戦い敗れています。

当時の朝鮮半島の様子
※中国は、隋(30年)から唐(300年)になっています。
→隋が滅んだ理由は、2代目の皇帝が暴君だったようです。

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そして、百済が滅びてしまいます。
中国強しですね。

こちらもゴロで覚えましょう。
663年(む、無惨!!)白村江(はくすきのえ)の戦い
東進(とうしん)に百日(ひゃくにち)通って敗れる。

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その後、中大兄皇子は即位して天智天皇となりました。

天智天皇は、侵略を恐れて、太宰府(福岡県)に水城を築いたり、
対馬・筑紫に防人を置きました。

さらに、日本を国外から守るために徴兵することや
税金を多く集めるために日本最初の全国的な戸籍を作成しました。

新羅や唐の侵略が怖かったわけですね。
でも、新羅と唐が対立してくれることで、
日本には攻めてこなかったようですね。

③672年 壬申の乱

歴史で有名人が出てくると、亡くなった後に権力争いがあります。
天智天皇が亡くなると、天皇の位をめぐって争いが起こります。

大海人皇子(天智天皇の弟)と大友皇子(天智天皇の子ども)の争いです。
天智天皇は、弟の大海人皇子ではなく、
子どもである大友皇子を後継にしたかったようです。

天智天皇が亡くなった後に大海人皇子と大友皇子の争いが起こります。
この争いを壬申の乱といい、
これに勝利して即位したのが大海人皇子であり、天武天皇でした。

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覚え方は、
む、なに〜?!
『じんむ(ま)しん』できてんけど。
です。

壬申の乱の『じん』と天武天皇の『む』が入っているので、
672年壬申の乱で、大海人皇子が勝利して
天武天皇になったことが覚えられます。

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ややこしい天皇の名前の覚え方

天智天皇と天武天皇の『智』と『武』のイメージはいかがでしょうか。
『智』ってかしこいイメージ
『武』って強そうなイメージではないでしょうか。

中大兄皇子と大海人皇子のどちらがかしこそうで、強そうでしょうか。
私は、大兄がかしこそうで、海人(かいじん)の方が強そうなので、
大兄が天智天皇、海人が天武天皇と覚えています。


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