寝た子を起こさない授業もあってもいい?【こうあるべきの授業論を考える】#597

おはようございます。

6/15 授業がなんとなくうまくいった気がする、それが自分にとって一番うれしかった昨日の出来事。一日で一番うれしかったことに授業のことが浮かんでくるっていうのはそれだけ思い入れがあるからなんでしょうね。
おこめさんです。


最近、学校での授業と

家庭での長男の様子をみていて感じることがあります。


勉強って強いられてするものじゃないなって。

無理やりノートをあけさせ、黒板をうつさせる

寝ている子がいたら、絶対に起こす

それをやっている先生も子どものことを思ってやっているのですが、

でも長期的に見たときにそれが果たして子どものためになるかっていうとそうは言い切れないんじゃないかなって思います。


ぼくの授業で寝てしまうことも学びじゃないかなって思うのです。
(あまりにも寝すぎていれば、体調面のことで声をかけることはありますが)

ここでいう学びとは

授業中に寝てしまったことによって、次の時間の先生の話についていけない、まわりとの対話の時間に単語の意味がわからない

ということから、授業を寝てしまったり、聞いていなかったときにはこうなるんだ っていう学びができるっていうことです。
(さらに長期的な視点でいうと、その結果将来の高校選択の選択肢が少なくなることなども想像し、その時点で後悔が残ることも学びの一つだと思うのです。)


もちろん、大前提として寝たくなくなる面白い授業

というのが毎回できればいいのですが、そう毎回全員を惹きつけ続けられる授業というのは難しかったりします。


そのときに、生徒を叱って起こすという選択よりは

それもきみが選択すればいい

という形の方がいいのかなって思ったりしています。


無理やりさせられた勉強によって、たしかに子どもの将来の幅が広がるっていうことはあるのかもしれません。

だけど、人生の失敗から学び、自分の糧にする

ということも同じく大事なことだと思うのです。

もちろん失敗をさせっぱなしで、失敗を活かせていないのなら、それはもったいないとは思うのですが、そこから学ぶことができる支援がちゃんとあればそれは失敗とは言わないのだと思います。


「THIS IS YOUR LIFE」

みんなそれぞれが違う人生を歩んでいて、それでいいと思うのです。

寝ている子はそれを自分から選択してそうしているのだし

その結果は甘んじて自分がうけないといけないことです。

ぼくはそのときに、きちんと振り返りの機会を提供する役割なのかなって思います。

本当はどうしたいんだろう、次はどうする?

未来に目を向けさせ、いつもその瞬間から変わることができるっていい続けることかなって思います。


ぼくは授業において、理科を教えるっていうよりは

その子の人生の考え方において

大事なことを感じてもらえたらいいなっていう思いでやっています。


子どもたちは先生を選べません。

だからぼくが理科の授業のときに子どもたちの前に立つとき、子どもたちの意思はどこにも介在していません。

でも、だからこそ、その授業において少しでも子どもたちの選択権を残しておきたいなと思うのです


これは今の学校やこうあるべきという授業観に対して、ぼくなりに突きつけている感覚もあるのかもしれません。


それをどんなときも貫き、だからこそ子どもたちが本当の意味で気づける
(自分の人生の主人公は自分自身)

そんな授業をこれからも作っていきたいって思います。


今日もここまで読んでくださってありがとうございました。


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おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ


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