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子どもには成績アップだけで十分?【教育の効果はわかりにくい】#574

おはようございます。
(文字数2710文字←今日から文字数も書いておくようにします)

5/23 奥さんとの対話の時間は、幸せな気分にしてくれます。こちらの話を聞いてくれる というだけでなく、感じたことを素直に返してくれるから。ぼくも奥さんの話に対してそういう姿勢で望みたい おこめさんです。


昨日は、長男が友達の家にあそびにいっていて

その間、長女と奥さんと三人で買い物だとかに行っていました

そこでいつもよりもゆったりと奥さんと話す機会があったのです。
(なかなか普段夫婦で会話をするというよりは子どもたちの話を聴くってことが多いので)


そこで、ぼんやり最近考えてたことを奥さんに聞いてもらいました。

今日はそこでの話を振り返りながら書いていきます。


おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ


▼お金を払うということは

その金額に同等の何かを得るということでもあります。


例えば1個100円のりんごを買うときも

100円を払うことで

・りんごが1個手に入る
・それを食べることで美味しいって感覚だったり、健康だったりが手に入る

みたいなことがなんとなくわかるから、100円を出してりんごを買うわけです。


例えば1本1000円のボールペンを買うときも

1000円を払うことで

・文字や絵を書くこと
・よりなめらかに書けることで疲労が少ない
・きれいな字が書けて気分があがる

みたいな結果を買うともいえます。


例えば1ヶ月20万円のダイエットプログラムにお金を払うのも

20万円払うことで

・今より引き締まった身体が手に入る
・それによってプールや海でのまわりからの視線が今よりもいい感じ
・自分に対して自信がもてる

みたいな結果を買っているのですね。



お金というのは「交換という能力をもったアイテム」なので、お金を払うときというのは、手に入るものがわかりやすく理解できること であることが多いんですよね。

▼商品を比べるという視点

さらに、市場においては

ボールペンもダイエットプログラムも(一応りんごもかな)

並んでいる別の商品と比べられるということがおきます。

どうせボールペンに1000円払うのなら、

・よりスタイリッシュなもの
・インクが長持ちするもの
・故障が少ないもの
・書きやすいもの

を選びたいと思うものです。


そこにはあまり”誰がつくったものか”という作り手に思いを馳せるということは介在しません。

ただ単に、商品としてのものを

頭の中の算盤をはじいて よりよいものを選ぶという思考になっています。


これらは消費者として当たり前の思考なのです。


ただ、この思考はすべてのものに対して 当てはめていいものでしょうか。

▼商品としての教育

例えば教育に対して です。

教育も商品というカテゴリーで考えてみると

よりわかりやすい結果が求められるようになります。


それがテストの点数や進学率だったりします。

理科30点アップ!
〇〇高校への合格率95%

のような看板が塾に掲げられているのは、そういう視点で見てみると納得できるところでもあります。


だけど、果たして教育は

ボールペンやダイエットプログラムと同じようなわかりやすい結果が得られる商品なのでしょうか。

その捉え方以外には無いでしょうか。


確かにお金を払う以上、わかりやすい結果を求めるのは当然のことだと思います。

だけど、そもそも教育の真の目的は「子どもが幸せな人生を歩むこと」ではないでしょうか。


テストの点数や〇〇高校への進学はそのための手段の一つにすぎないと思うのです。

▼真の目的を考えたときに

本当はどんな塾か、どんな実績があるか

以上に、
誰がどんな思いでやっているのか、
子どもにどんな関わりをしてくれて、
子どもがそこからどんなことを感じてくれそうか

そういったことも大切な気がするのです。


もちろん、上記のことは結果としてわかりやすい指標があるものではなく

だからこそそういうものにお金を支払うということに?が浮かぶと思うのです。

だけど、少なくとも教育もわかりやすい結果が出る商品の一つとして捉えてしまうことの怖さみたいなことはもっておいた方がいいじゃないかなって思うのです。

そのさきには、画一的なサービスしか生き残れない
(結果的に子どもたちの選択肢が同じようなものしかない)

世界になってしまうことにつながるから


▼それしかない?

消費者的発想から考えると

わかりやすい出口を示せる 進学塾が増えるというのは理解できるところではあります。

だけど、もっと広い視点でみたときに

子どもが幸せな人生に向かうためには

学力や偏差値の高い高校 だけでは決して十分とはいえません。

そこには友人関係や素敵な大人との出会い、学ぶ過程での非認知能力の育ち、自分に対する確かな自信(勉強以外も)、自分について見つめる時間、それらを言語化する活動etc・・

いろいろな要素が関わってくるはずです。


だったら、もっと幅広い手段が世の中にあふれていてもいいのになって思ったりします。

子どもの幸せの実現のための手段がもっといろいろと溢れていたらいいのになって

▼だけどまだまだ

そうはなっていません。

家庭ではフォローしきれない”テスト学力や〇〇高校進学”という結果は外部である塾にまかせて

それ以外の部分はほとんどすべてを家庭で担う

というかたちになっています。


でも、幸せの実現のために必要なことはもっとたくさんあるはずで、


いろんなことをいろんな思いをもってやっている塾がそれぞれ認めあえて、

一緒に存在しあえる世界が 

子どもたちにとっても、

その親にとっても

幸せな、豊かな世界なんじゃないかなって思います。

(もちろんそれらすべてを公教育で担えていて、それを選択できることが一番理想的)


▼進学塾がいらないわけでない

のです。

そういうニーズを満たす場所も必要ではあります。

だけど、それだけじゃ足りないよねって思うのです。
(その他を補える家庭はいいけれど、そうでない家庭は任されても・・となってしまう)


おはこやは そんな塾(というカテゴリーでいいのか問題)

でありたいなと思います。


今日もここまで読んでくださってありがとうございました。


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