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267. あなたのためを思って言ってるのに

彼女の口癖は鬱陶しかった。
こんな言葉を吐く奴の言うことに、聞く耳を持つつもりはあまりなかった。
私のためらしい説教を聞き入れないと、彼女は腹を立てた。
彼女は敬虔なキリスト教信者であるらしく、宗教によって救われたらしい。
彼女は以前に双極性障害の診断を受けたことがあり、服薬もしていたようだ。
幼少の頃から様々な能力を発揮し、勉学・芸術において優れた成績を残していたようで
確かに彼女に初めて出会った時からどこか不思議な雰囲気を感じていたし、話すとどこか独自の視点を持っているような、そんな魅力を感じられる、誰からも好かれるような天真爛漫さを醸し出していた。

彼女と共に過ごす時間が増えていく、やはり彼女は人気者だった。
男女問わず彼女の周りには人が集まったし、人柄だけでなく容姿も評価されていた。
そうして少しずつ少しづつ、彼女を知っていく。
何気ない雑談から宗教について、過去の経験や思想・哲学、議論は進み、ただ笑っているだけでは彼女との時間を過ごせなくなってきた。

彼女の中に自分を見る。
家族との関係性や他者との関わり方、「死」への思いや精神状態の安定性。
変に馬鹿正直なところもあれば頑なに本心を隠す時もある。

「あなたのためを思って言ってるのに。」
このような言葉を使う人間の言うことを聞く必要はない、巷ではよくそう言われているように思う。
自身の思う「べき」、エゴを押し付け、それが受け入れられないことを許容できない。
対象にプレッシャーをかけることでコントロールしたい、対象が自分の「正義」に従うことで自分が正しいと思いたい。
なるほど確かにあまり聞こえはよくないかもしれない。

ここで、この言葉を受け取る側について考えてみる。
「人間は皆私利私欲、誰もが自分を利用しようと甘言で誘い騙そうとする、他者の言は全て自己の利益のために吐かれるのみ…」
なんて思想を持っているとして、そんな人に対して
「(本当に)あなたのためを思って言ってるのに。」
と伝えたいとすれば、この言葉は真に救いになり得る気がする。

加えて彼女は私によく言ってきた
「どうして人が自分を理解してくれるなんて思っているの?
私はあなたが自分を理解してくれるなんて思っていないし、私もあなたを理解出来てるなんて思っていないよ。」
私は人によく理解されていないと感じることが多く、それに不満を抱えていた。
そんな人間に対して与えられるアドバイスとしてはごく一般的な、まあ分からなくはないけど、と言ったところ。
いやアドバイス求めてないんだよな、なんてこれまた月並みなことをよく思ったし、言い合いになることが多かった。

「みんなあなたを愛してる。」
そんなことも言っていた。
「みんなあなたを愛しているし、私も本当にあなたのためを思っていろんなことを言っている。」
そんなメッセージを伝えたかったのだろうか。
「愛」なる抽象的な何かを信じ、ただただ無条件に全てを受け入れる。
彼女は本当に宗教によって救われているのか、私には疑問だった。
宗教を押し付けるつもりはない、と言う彼女は宗教に多分に影響を受けているだろう彼女の思想を私が受け入れないことに耐えられないようだったし、やはり彼女は自分の思想の正当性を「自分に対して」証明するためにも、他者が必要なように見えた。

人の理解を求めていないように言うものの、彼女は理解を欲するようにみえてならなかった。
そう、「私には」そう見えるのだ。
私の世界の解釈は、彼女を正しく理解しているだろうか。
彼女自身は、自分を正しく理解していると宣うだろうか。

私は他者を最大限理解したいし、他者に最大限理解されたい。
どれだけ自身を言語化しようとも、どれだけの行動を示そうとも
それでもどうしてか理解されない、そんな風に思っていた。
私を理解しない世界を憎んだ。
私を理解しない世界を悪にしたかった。

けれども気づくのは、私が嘘を吐いているということ。
特別であるために、特別であることで得られる権利を享受するために
努力を怠るために、劣等感を隠すために
巧く生きようとした、誰でも嘘を吐くのだから自分にもその権利は保障されていると思おうとした。

たしかにいつでも自由は目の前に存在している。
法は、ルールは、マナーは、倫理は、絶対的効力を持たない。
何時いかなる時もそれを破ることができる。

それでもどうしてか、「なりたくない自分」がいる。
遺伝的要素か、生育環境か、何はともあれ「誇りを持つために」保たなければならない自分がいるようだ。

世界にモテることが幸せだと思い込む。
物質主義に侵されていたのは何故だろう。
否定された経験から、否定されることの恐怖から、否定されないために学んだ経験則は、与えられた「べき」を盲信することだったろうか。

自分へのモテも意識する。
絶対的真理の存在を否定したかったが、私にとっての希望は目の前にあったようだ。

嘘に自身の願望が隠れているとして、向き合うことは、自身の慣習を捨てることへの不安もあるけれど
革命を愛する自分を演じていたのは、革命を愛する自分でいたいからなのだろうから、向かうとしよう。

特別でありたいと願う気持ちに正直に向き合うとして
まだまだ満足出来ない自分の文章に、人生に
気にしていないフリをすることで、それが現実になるように

彼女との友情は破綻しているように思っていたが
修復したいような
無理に関わる必要もないような

恥ずかしながら筆を置く



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