Xでのみ優しく、現実でのみ優しい
Xってみんな嘘ばっかりついてるんだなと思うんですよね。
現実では言えないことを、Xでは正体を明かさずに、真実を述べると言うか、こっそり心のなかで思っていることを伝えるというか。
それにより、心を救われている人もいるようで、世界は優しいような。
気もする。
それにしても優しすぎる。
本当にそう思っていないわけではないのかもしれないけど、もうひとりの、いたかもしれない、妄想上の自分に似た誰かに、こっそりアドバイスをして、どうなるのか観察しているような、言葉だけ投げかけて責任は取らないみたいな、そんなゲームをしている。
気もする。
あの頃の自分に、かけてもらいたかった言葉を注ぐ。
とても優しく甘い言葉。
だからこそ、『そのままでいいんだよ』って、蜂蜜漬けにして。
観察する。
どうなったかなって、更新が途絶えていたら、下手したら自殺してしまっていたら、やっぱり駄目だったか。
それを見て
今の自分は正しいんだ
苦しかったけど頑張って良かった
甘えてばかりでは駄目だね
と溜飲を下げて、ようやく納得できる実験をしているような。
救われたのならそれはそれで良かったと思うのかもしれないが。
そのままでいいんだよも、限度がある。
どんなに優しい親戚のおばちゃんでも、休んだら少しずつ外に出ようねって言うよ。
そのおばちゃんだって、大切な我が子ならもっと厳しく叱るかもしれない。
つまるところ、自分にとってどうでもいい人間であるほど、優しい言葉を人は投げがちなのである。
優しくすると、人はどんどん弱く、もろくなる。
誰かが助けてくれるならいい。
でも、もしもそうじゃなかったなら。
あっけなく、人は死んでしまう。
『Xの人たちは優しい』
鬱とか、ADHD等、自称しているアカウントの人は、よくそういったポストしている。
とても残酷な、意地の悪い世界に見えた。
きっとXにいる優しい人は、現実世界ではもうちょこっとだけ厳しい。
でもその厳しさの部分が真の優しさだったりする。
その人の本当の優しさは、Xでは出てこない。
優しさに包まれたあの子は、強く生きられるのだろうか。
居心地が良い世界で、優しさに蝕まれていく。