【小説】模造ノ献身
何も言わずとも自主的に伸ばされる腕に注射針を刺すのは容易い。皮膚は抵抗なく尖りを受けいれ、管のなかへ赤い体液がするすると溜まっていく。
体液の主は次々と集められていくそれを、どこか楽しげに眺めていた。
「……はい、終わり」
抜かれた針の先を名残惜しそうに視線が追いかける。
「もっと採ってもいいのに」
「一回の量は決まっている」
「知ってるさ、それくらい」
どれだけやってると思ってるんだよ、と青年の形をしたものは笑んだ。笑うとえくぼができて、いやに人懐こそうに見える。
採ったばかりの血液を集めた管にラベルを貼りつけていく。何本分もあるそれはガラス越しにもまだぬくもりがあった。
「そんな神経質にならんでも。失敗したらまた採ればいいんだから」
普通の人間ならば体調を崩すほどの量を採られても、まだけろりと軽口を叩く。覚えた不快感のままに顔をしかめてみても、へらへらとした態度を改めることなどない。
「眉間に、しわ」
それは自身の眉間を人差し指でとん、とつついた。
「あんたの仕事は採ること。おれの仕事は採られること。何がそんなに気に食わないんだよ」
「……しいて言うなら、すべてが」
そう聞くや否や、そいつは「あっは」と声をあげて笑った。
背後に飾られた黄色のチューリップが揺れる。
「まじか。いやでも、一個くらいは直せるところがあるだろうよ。ほれ、言ってみ」
居心地のよさそうな――実際、かけられた技術も値段も最高峰の――ベッドに横たわってにやにやとした笑顔を浮かべるそれを、うえからしたまでざっと見る。
「まずはその顔」
「いきなり無茶を言う。もって生まれたものを今さらどうこうできないじゃん」
「その締まりのない表情をやめろと言っているんだ」
「ひどい言われようだな」
最後の管にラベルを貼り、器具を片づける。
一連の作業を見守る双眸は日を透かしたガラス玉みたいだった。顔の筋肉ひとつひとつは笑みを型どっているのに、じっと瞳を覗いても何も感じない。何も訴えない。
「なあ、ほかには?」
ひとつ、ふたつと瞬きをする。
見てくれだけは鑑賞に耐え得る締まりのない顔が、小首を傾げた。まるで聞き分けのない子供のわがままを聞いてやる大人みたいな態度で、それがまた癪に障る。
「……おとなしく現状を受けいれているところ」
「だって、それがおれが生まれた理由だから」
注射針を刺した傷がもう薄くなってきている。次の採血の時間にはすっかり消え失せて、どこに刺したかもわからなくなっているのだろう。
「おれの――いや、おれたちの血が、大衆を救うんだぜ」
それは両目を細め、口角をもちあげる。
世界に蔓延する、致死量ほぼ百パーセントの奇病。そんな病に罹って生き延びた男がいた。彼は何故死ななかったのか徹底的に調べあげ、自身に流れる血液が特別であることに気がついた。この特別な血を使えば奇病の特効薬となるのだ。
ところが、薬は彼の血液からしか作ることができなかった。男ひとり分の血など量が限られている。世界中の人間が薬を待っているというのに!
そこで男は考えた。自分の血液しか使えないのなら、自分ごと増やしてしまえばいいのだと。
そうして生まれた、男と同じ外見をもち、同じ血液の流れるもの。今、目の前で対峙しているもの以外にもあと九人、それがいる。
それぞれがそれぞれの部屋で、毎日のように血液を提供しているのだ。
「こんなところで、血を抜かれるだけの日々に何の意味があるんだ」
思わずそう零せば、それはたいそう困ったように眉をさげた。
「おれたちは奇病から人間を救うために生まれたんだ。その役割を全うすることが存在する意味であり、喜びなんだ」
部屋に鍵はかかっていないし、物理的に縛りつけられてもいない。
逃げようと思えばいくらでも逃げられるのだ、本当は。
これは、これの意思でここにいる。
「そんなに気に病むなよ。おれたちは何とも思ってないんだから。暇だって適度に潰せるんだし」
そう言ってベッドサイドテーブルに重ねられた本を指差した。何度も読まれた本はいずれも随分とくたびれて、ページの端がしわしわになっている。ほかの部屋にも同じように本が積まれていて、どれもよくよく読まれた形跡があった。
「人間の見た目をしているのが不味いのか? 次のおれは人型にしないほうがいいと伝えようか。あ、でも、人型でないといけないのか……困ったな」
それは笑った。眉をさげたまま、人懐こい笑みで。
「色味を人間とはかけ離れたものにするとか……いっそ声帯をなくすとかどうだ? ……ごめんって」
明け透けに不快感を示せば、それはあっさりと謝った。
硬質なガラス玉のような瞳はどこまでも無色で無垢だ。
模造のそれに、世界はどう映っているのだろう。
同じ景色は見えているのだろうか。
「野を駆け、空を飛び、海原を泳ぐものを縛りつけるならそれは残酷だけど、おれたちはそうじゃない。はじめから、そういう役割をもって生まれて、それを全うしているだけなんだから」
「そんなこと、わかっている」
「うん」
「あなたたちの人格も、感情も、記憶も、コピーによる副産物にすぎない」
「うん」
そんなこと、わかっている、ともう一度言う。
これらが生まれた理由も役割も、ちゃんと理解している。
決して、強制されているのではないのだ。
だが、こうやって人懐こく笑いかけてくるのだ。
友達のような顔をして、人並みのぬくもりがあって、軽口が叩けて、だからいけない。
まるでひとりの人間を相手にしているような気持ちになって、いけない。
「結局のところ、人間は自分の物差しでしか想像できないから、仕方ないよな。いくらおれたちが大丈夫だって言っても、あんたたちはおれたちを人間みたいに扱うものな」
それが、ふとくちを閉じる。
視線が床をさっとたどり、再びくちを開く瞬間に立ちあがった。
その動きにつられて、それは中途半端にくちを開けたまま顔をあげる。
「もう時間だ。行く」
向こうが何か言う前に会話を切りあげる。
それは間の抜けた表情のまま、こくりと頷いた。
「ああ、そう」
ひらりと手を振る腕に残る痕は、また一段と薄くなっている。
扉を閉める間際にちらりと振り返れば、それはいつもと同じようにへらへらと笑っているのであった。
もう何度も何度も見た笑顔。
何度も何度もした会話。
隣の部屋の扉をおざなりにノックし、返事を待たずに開ける。
「よう。待ってたぜ」
先ほどと同じ顔が、愛嬌のあるえくぼの笑みを向ける。
背後に飾られているのはピンク色のガーベラだ。採血の担当者が部屋を間違えないようにするための目印である。何せ、同じ姿形のものが十人もいるのだ。
もし、十人が一列に並んだとしたら、きっと見分けがつかない。それどころか、耐久の限界をこえ別の個体に代替わりしていたとしても、きっと気づくことができない。
かすかな違和感にもしかしたら、と思うかもしれない。でも確信がないから、また同じことを飽きず繰り返す。
「ほら、早くやっちまおうぜ」
「……ああ」
差し出された腕に注射針を刺すのは容易い。皮膚は抵抗なく尖りを受けいれ、管のなかへ赤い体液がするすると溜まっていく。
体液の主は次々と集められていくそれを、どこか楽しげに眺めていた。
<終>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
小説は以下でも公開しておりますのでよかったらぜひ。
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