【小説】星間ラジオ
落ち着いた耳馴染みのよい声に、それより少し高い声が応答する。
時折、ふたりの間で草原がささめくように静かな笑いの漣が起こる。
それは普段自分が使っている言語のようでもあったし、まるで知らない言語のようでもあった。
聞き取ろうと耳を澄ませると、ピントがずれたように空気にとける。諦めて、眇めた目を遠くに向けていると、いつの間にか耳もとでふたりが囁くように語り出す。
キャッチボールというには凪いだ、ささやかな対話だった。
端々に無邪気さが覗く声の語尾があがる。首を傾げたシルエットが見えるような気がして、ひっそりと頬を緩める。
低い声は、ひとつひとつ吟味するように丁寧にことばを紡ぐ。
誠実な呟きはときどきぴたりとくちを噤むが、相方はそれをじっと待っている。急かすわけでも、呆れるわけでもなく、きっとその眼差しは春の陽光を思わせるにちがいない。
落ち着いた問いかけに、ぽかりと沈黙が浮かぶこともあった。なんと答えようか、大切に答えを形作っているのだろう。そして相方は、それを淡い色合いの花がほころぶような面持ちで見ているのだろう。
横たわる静寂に気まずさはない。
目には見えない空気の震えによるやりとり。
意味のある音には愛情が、穏やかな静けさには信頼が。
ぽつり、ぽつりと雨垂れのようにつながる、顔も知らない誰かの会話。
鼓膜をくすぐる、ものやわらかな笑い声。
ぽろろ、ぽろん。弦を弾く、ふたり以外が奏でる音。
それを合図に、会話がひたり、とまる。
笑みの気配を含んだ愛想の滲む低音。唄うような愛嬌あふれる語調。ふたりの声が、はじめて互い以外へと向けられる。
弦楽器の奏でにかさなる二種類の声。いつもお決まりのリズム。
だんだんと音楽が遠くなり、やがて乾いた静寂が訪れる。
耳にはめていたイヤホンをそっと外す。
陽だまりのような余韻を抱きしめたまま、からりと窓を開けると濃紺の夜空が広がっている。部屋に吹きこむ風はまだ冷たくて、睫毛がふるりと震えた。
友人から譲り受けた手回しラジオ。少々型が古いがまだ現役のそれをひと撫でし、電源を落とす。
でたらめに周波数をいじっていたら、たまたまつながった。それ以来、正体不明のパーソナリティの心地よいやりとりに耳を傾けるのが、毎週金曜日の夜の楽しみになっている。
ふるり、もう一度睫毛を揺らして見あげた夜空に、ぽつぽつと浮かぶ点のような星々。ここからは、よほど明るい星でないと目で見ることは難しい。街の明かりが眩しすぎて、見えない星もあるだろう。
あの無数に星がきらめく宇宙のどこかで、あのふたりが仲良く配信しているのかもしれない。
そう思うと、どこかこそばゆく、誰も見ていないのに面映ゆい気持ちになってしまって、ついつい星空から目を逸らす。
窓を閉め、遮光性のカーテンをぴたりと引いた。
胸に宿ったぬくもりがさめないうちに、布団へともぐりこむ。目を瞑れば、満点の星空。
見知らぬふたりよ、よい週末を。
また、来週。
<終>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
小説は以下でも公開しておりますのでよかったらぜひ。
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