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落とし所を探る行為

会議の中で,ある人はAと言う主張をし、ある人はBという主張をする。この主張は互いに相反するものである。この場合、我々の会社では、それぞれが納得できるレベルの落とし所を探る作業を始める。

今回はその落とし所を探る行為は本当に正しいのか?を考えてみたい。

会議の中で度々発生するその一連の流れを見て思うことは、「落とし所を探る行為は悪なのではないか」ということである。

Aの主張をした人はユーザー(お客様)にとっての最適解をAとして主張したはずであり、Bの主張をした人もまた同じである。どちらもユーザーを第一に考えての主張である。

しかしながら「落とし所を探る」行為は、ユーザーを第一に考えた解決法ではなく、主張をした人の為の行為である。
いつの間にかユーザーへの視点が抜け落ちてしまうのだ。

日本のプロダクトはユーザーにとって不要な機能の集合体だと言われる。
これもユーザーではなく、その機能を提案した人、もしくは開発した部門のことを考え、落とし所を探った結果なのではないだろうか?

私の会社には強烈なリーダーシップを発揮できる人材が少ない。
皆で考えて、皆の主張を尊重しながら落とし所をさがす風潮がある。
社員にとっては気持ちの良い環境かもしれないが、その文化がイノベーションを阻害しているのではないか?
最近はそんな気がしてならない。



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