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哲学・日記・メモ 「アートと生涯学習」

生涯学習としてのアート

●アート教育に出来る事とは、行為の可能性でその場を満たす事(≒アフォーダンスでその場を満たす事)。アートを教える者は、それしか出来ないんじゃないだろうか?                          ●つまりアートの教師は「教授する教師」ではなく「学習の促進者」なのだ、と言う意味で彼は教育に属する者なのではなく、学習に携わる者なのだろう。                               ●教育は学習の部分でしかない。もし、貴方がそのような立ち位置に立とうとするのならば、アートとは学校教育の中でその奴婢として小ぢんまりと機能させるようなものではなく、もっと福祉やコミニュティの中で、生涯学習の要として必要とされるべきものなのではないだろうか?            ●そしてそれは絵画や彫刻を学ぶという事ではなくて、行為の多様な選択肢を、更なる多様な可能性へと拓いていく、と言った「在り方」のアート=技術を学ぶという事なのかもしれません。                ●そう言えばその昔、サルトルは可能性を削って決断する主体性を、選択し決定し自らを創っていく主体性として、その実存を語っていたけれども(『実存主義とは何か』)、その意味ではアート学習の促進者は、これに対立するものでもあろう。                              ●何故ならばアート学習の促進者は、生涯学習の実践者は、可能性を削って自己決定に向かう事よりも、可能性の幅を拡げ、多様な可能性を拓く事の方を大切にする者であるだろうから。多様性と可能性に遊ぶことを大切にする者であろうから。                          ●すると、ここに可能性としての多様性という、新たな実存のヒントの萌芽を考える事は出来ないだろうか?と思っています。

2021年5月5日 岡村正敏

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