見出し画像

哲学・日記・メモ「故郷のこと」

故郷のこと

上京して夢果たせず、何十年を経て故郷に帰ってきたが、そこは故郷ではなかった。

確かに地理的にはそれはそこにあったし、文化風習は暮らしの中に残っていたが、そんなものは私の故郷ではなかった。

その「土地・地域」に私の故郷はなく(だからと言って普遍的な「大地」を故郷と呼びたいわけでもない)、私にとってのそれは、

あの日遊んだ犬であり、あの日殺したコガネムシであり、夏の空に湧く入道雲であり、よじのぼった椎の木であり、あの日別れた貴方である。

私の故郷はそのような具体的な内容であり具体的な「もの」や「こと」である。それは特殊地域性として形式化された故郷・・・同郷者達と共有され得るような故郷では決してない。それはそのような共有される「風景的な故郷」ではなく、もっとフェティッシュな具体的な「もの・こと」に憑いている、私的内容としての故郷なのだろう。それを即ち私的呪物と呼ぶとするならば、それは誰かと共有する故郷の風景に抗うものとなるはずである。

だから故郷とは、あの日の「もの(こと)」に憑かれた私である。または私があの日の「もの(こと)」を依り代として「在る」ようなものである。それは「かつて在り・今は無く・これからも決して無い」という「完全な喪失に依って在る」という、矛盾でもある。

故郷とは失ってはじめて故郷となるのであろうから。


2022年1月13日 岡村

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?