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哲学・日記・メモ「オルタナティブである、という事」

オルタナティブである、という事

オルタナティブである、という事は、それはあくまで「オルタナティブであろうとする姿勢」なのだろう。それが単純にメインストリームを目指すものならば、もはやそれはオルタナティブであることを認めないだろうし、だからそれが実現したら、それまでメインストリームであったものがオルタナティブになるだけだろうから、それは革命みたいなものであろう。
だからメインストリームとオルタナティブの関係はどこまでも「後者は前者の補完」であるべきなのだ。しかしそれは「前者の後者の補完」でもある。アートにおいても教育においても。きっと対話においても。


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