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哲学・メモ・日記 「趣味の極北としての石」

趣味の極北としての石
●ただ走るのが好きと言う人がいる。
ただ描くのが好きと言う人もいる。
目的もなくおしゃべりが好きと言う人もいれば、ただたた人と一緒にいるだけでいいという人もいる。
●きっと、ひとりで考えているだけでいい、というのもありかもしれないし、ただ生きているだけでいいという在り方もあるのかもしれない。
●するとその最後は、ただ在るだけが満足の総てという事に行き着いてしまうのかもしれない。
●しかしそれはどういう状態なのか?
●ただ石がそこにある。という状態と同じように私は思う。
●ただただ○○する。と言うのはその行為に目的がないという意味で趣味である。とするならば趣味の極北とは「ただただ石がそこに在るようにあり続ける」と言う事になるのかもしれない。

2021年5月 岡村正敏

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