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雑考・日記・メモ「アンビバレントとアンビュキアス(または寒月と朧月夜)」

メモの前のメモメモ。
ほぼ毎日もにょもにょと考えている、もにょもにょな毎日です。

・・・うーん。
アンビバレントとアンビュキアス。
ambivalent と ambiguous 。
似ているようで全く異なる。
二項対立図式を前提としているという前提は同じでも、その後が全く異なる。
私は・・・ambivalent を支持するかな。
曖昧さを曖昧さとして受け入れるだけでは物足りなく感じてしまいます。それは私の「性」なのかもしれませんが、曖昧さが根拠とする感情や感覚への安寧(調和)は認めるにせよ、それを認めたたうえで、更に二項を峻別することが出来る(峻別出来るという理性・悟性の作用)という事実に関心が強いから。何故なら峻別された、と言う事実が(批判的にせよ)確かにあるのだから。
そして生活や暮らしはアンビュキアスの中で成立しています、と考えるのならば、アンビバレントを考える事は、それは生活や暮らしへの関心ではなくって、在り方に関する形而上的な関心なのだろうと思います。

春の朧月夜もいいけど、私は冬の寒月が好きかもしれない。

2021年10月 岡村正敏






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